事実と創作

今、ある長編小説に取りかかってます。珍しく通勤時間を利用して読んでいます。めちゃめちゃおもしろいです。感想もいろいろ書けそう。
感想書くために読んだわけではなくて、前々からおもしろそうで読んでみたかった作品なんです。今週末くらいには読み切れるかな。


昨日の帰り本屋に寄りました。その本も含めて\3,000買い物。衝動買いだよなぁ。。。すごく久しぶりにDOS/V Magazin買いました。薄くなったなぁ。てか、DOS/V ってもう死語だよね。640*480 VS 640*400 の戦いとか知ってる??DOS/V の V ってVGAなんですよね。由来は。


昔話はこれくらいにして今日の本題へ。


昨日のスピリッツでちょっと感心した漫画がありました。それは、「日本沈没
そもそも俺がもっともヲタクな分野に近い漫画なので・・・
何に感心したかって言うと、自然「災害」ってものにはTPOがあるなってこと。この作品で描かれた「最悪のケース」ってのは起こったらいやだけど十分起こりえる話。
そもそも、ここで描かれていることが理論的に起こりえるのかってのは最近そっちの学問は離れているのでわかりませんが、確率的に全く起こりえないということはたぶん言い切れないと思います。
原作の小松左京著「日本沈没」は、執筆中に地向斜理論からプレートテクトニクス理論に切り替わったために、「本物らしく見せる」部分で大幅な変更があったという曰く付きの作品です。えがきたいのはたぶんそこではない。でも本物らしく見せるためにはこだわらなければいけない部分だったということでしょう。
今連載中の漫画では、もしかすると最近話題のメタンハイドレートも絡めてくるのかもしれません。本物らしく見せるには最新の知識が必要なのです。


さて、創作を本物らしく見せるためには、事実を元にしなければなりません。例に挙げた日本沈没がベースとしているプレートテクトニクス理論、俺が学生の頃には「限りなく正解に近いと思われる仮説」の域を脱していませんでした。今はどうなのでしょうか。
それはともかく、事実を元にしているということをあえて述べることによって創作した物語により深みを持たせるという手法はいろいろなところで使われていると思います。ところが、その創作部分が一人歩きしてしまうこともままあります。そういう話題が最近ありました。


ダ・ヴィンチ・コードがそれです。


この本に書かれていることが全て事実であると受け止めるのは、俺からしてみるとナンセンスです。創作物なんですから。
しかし、話をややこしくしているのはこの作品の冒頭の記述です。最後の一文のみ引用します。

この小説における芸術作品、建築物、文書秘密儀式に関する記述は、全て事実に基づいている。

この記述がこの作品に対する評価を難しくしていると思うんですよ。
さて、もしこの一文の記述が下記の様になっていたらどうでしょうか。

この小説における芸術作品、建築物、文書秘密儀式については全て事実に基づいて記述をしている。

とても微妙です。でも、俺からするとこの二つの文から感じるニュアンスは違うんです。
上は「全て事実に基づいている。」下は「全て事実に基づいて記述をしている。」
下の方が創作物であるというニュアンスが強いんです。


さて、ここで前にも書いた翻訳物の特性という物が出てきます。この部分も原典では英語で書かれているはずです。英語ではどういう記述なんでしょうか。
それは、たぶん俺が読んでもわからないんです。
さっき俺が引用した文章と改変した文章、英語に訳すとどうなるんでしょか?試しにExciteで翻訳してみました。

All the artistic production in this novel, buildings, and the descriptions concerning
a document secret ceremony are based on the fact.

All artistic production, buildings, and a document secret ceremonies in this novel are
described based on the fact.

正直わかりません。一応単語の意味はわかる。でも言っていることに違いがあるのかさっぱりわかりません。これはたぶんネイティブの人しかわからんのじゃないでしょうか。
そもそも俺が日本語で書いた二つの文、その違いって万人にわかるものなんでしょうか。それすらわからない。


ダ・ヴィンチ・コードが「事実を歪曲している」という意見がありますが、確かに日本語の冒頭部分を読むとそういうように感じます。(歪曲していると言っている皆様の言っていることが正しければ)しかし、それはもしかすると翻訳のニュアンスで生まれた誤解なのかもしれないんです。
決して作者や翻訳者を責めている訳ではありません。っていうか責めようがないんです。原文のニュアンスってのは、いくら英語を勉強しようとも決してわからないと思うんですよね。
本編の内容についてどうこう言うのは無粋な話です。小説なんですから。ノンフィクションではない。しかし、あの冒頭の文章からのニュアンスのくみ取り方次第では確かに物議を醸し出す要素がある作品だなと感じています。


昨日蒸し暑くていまいち眠れませんでした。もう眠たいので、今日はおやすみなさい。