読解力自慢

例の盗作事件、なーんか昔見たドラマを思い出しました。松本清張原作で主役が竹下景子のドラマ。俺にしては珍しく活字より映像が先のサスペンスでした。とある場面は今でも鮮明に覚えています。


作品名が思い出せずググっていたら、こんなインタビューを見つけました。
やっぱり宮部みゆき氏は松本清張作品のファンだったんだなぁ。
タイトルに「自慢」と書いたけど、これは別に自慢できることではないでしょう。読んで感じたままだったので。俺的には「ずれてなくてよかった」って感じ。
今まで書いてきた物の中でずれている物もあると思うんですよね。団地ともおの作者と吉田戦車は関係あるんじゃねーかとか。ただひたすら感じたままを書いています。


そういう何かを感じるってのはいったいどこからくるのか。かれこれ20年くらい前、中学生に国語を教えるという無茶なバイトをしたことがあります。ばりばりの文系で英語ができないと国語くらいしかないのよ・・・
古文はまぁ暗記すればどうにかなる。暗記つまらないけれど勉強だからしょうがない。漢字の読み書きも覚えるしかない。当時すでに漢字が書けなかった俺は教えられないし(笑)。問題は現代文。指示語が何を指すかとか、筆者の言いたいことを50文字以内でまとめろとか。こればっかりはどうにもならないんですね。
で、子供たちには

とにかく本を読め!。何でもいいから読め。推理小説でもSFでもコバルト文庫でもエロ小説でも何でもいいから数読め。そうすれば自然と答えがわかるようになる。もし自分がわかって答えた答えと正答が違ったら、正答作った人の感覚と自分の感覚が違っていたんだとあきらめろ。

と教えてました。教えているってのとは違うよなぁ。経験を語ってた??無茶してましたね。でも教え子の成績あがったんですよ。不思議なことにね。びっくりですよ。


結局文章なんて数読めばわかるようになるんですよ。ネイティブの言葉なら。外国語ももしかしたらそうなのかもしれませんがわかることばがないので何とも言えません。
もし、読んでわからないような文章が出てきたら、「筆者の文章が下手だ」と開き直るくらいの根性がないとね(笑)むろんわざとわかりづらく書いた文章というのも少なからず存在しますけど。


話飛ぶけど、毎年「うちの新聞は受験にこんなに出た」っていう広告目にします。記者の人たちはどういう思いであの広告を見ているんでしょうか。試験問題の中には社会なども含まれていますけど、俺が受験をしていた頃から国語の試験問題に新聞記事が出ていました。
新聞記事ってものは、事実を誰が見ても同じように読みとることができるように書かれているはずです。国語の試験問題にはなりえないんです。全員正答でなければ新聞記事として失格なんじゃないかなと思いますね。


話を戻します。


そうやって読んでみると、ああ、この人はこの作家に影響を受けているんだろうなぁなんてことがなんとなくわかるんですよ。この人はたぶんこういうことが書きたかったんだろうなってのもなんとなくわかる。問題は、その、何となくわかったことが自分だけのものなのか、みんながそう思っているのかがわからないだけなんです。
結局のところ、作者自身が語ってくれない限りわからないんですよ。


作者の影響つながりでは、松本清張宮部みゆきのラインはどうもはずしてはいなかったみたいです。漫画では高橋留美子畑健二郎ラインも一応影響らしき物はあるようです。
内容的には2006/1/22に書いたグインサーガ外伝の感想がどんぴしゃりだったのはうれしかったなぁ。毎回毎回自信満々で書いている訳じゃないですからね。この一件で若干天狗になったのは事実です(笑)読めばわかるあたりまえのことであっても、ぴたりと言い当てるってのは気持ちがいいです。




さて、本題に戻りましょう。
前にも書いたとは思うんですけれど、現代の日本のいわゆるヲタクを言われる人たちの読解力ってのは、かつてないくらい高くなっていると俺は思ってます。理由は簡単です。かつてないくらい大量の創作物を読んでいるから。質より量って話ではなく、量読むと自然と質を見抜く目がついてくるはずなんです。ちょっとやそっとの感動では満足できなくなってしまうんです。
学生時代には俺はまだ漫画をほとんど読んでませんでした。当時から読んでいれば逆にこう思ってなかったかもしれません。20年くらい、狂ったように本を読むという行為から離れてまた戻ってきたときに、こういう環境になっていてかなり驚いています。




眠いのに自慢話(と思ってもらえないような話)をだらだらかいちまったよ・・・


早いけどおやすみなさい。