涼宮ハルヒの憂鬱 コメントを受けての話と本編の内容について

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

レベル2は内包された読者。

というコメントをいただき、なるほどなぁ、そう考えるとしっくりくるなぁと思ったしだいです。作者が作り出した読者像が世界を創造する力を持つ少女「涼宮ハルヒ」を想像or妄想する、という考え方かな。
ただ、そう考えると俺も含めて読者は作者の内部から抜け出せていなくて神の視点には立てないことになってしまう。となると結局客観的にこの作品をとらえることはできなくなってしまうっていうところに結論が行ってしまうなぁ。
昨日書いた「危険性」。まぁあえて意図的にそのあまり美しくない言葉を使ったわけですが、決して自分の気持ちに嘘をついているわけではないです。レベル4に我々がよく知っている「日常」に近い世界を持ってくることによって、我々が生きているこの現実もだれか一人の願望やら妄想によってできているんじゃないかという妄想を抱かせかねないという危険性ははらんでいると思います。まぁ、現代の読者やアニメを見ている人々は、かつて無いくらい大量の虚構作品に触れているわけで、そんなところに引っかからずに、むしろ引っかかった振りをして楽しむくらいの余裕があるんじゃないかとは思ってますけどね。むしろ俺みたいなオヤジの方がやばいかもよ(笑)
作者の構築した虚構内で遊ぶのもいいんだけど、俺はあまのじゃくなのであえて全体を俯瞰してみたいなぁとか思っちゃうんですよ。2006/6/27の日記にも書いたけど、ほんと本好きとは思えないようなもったいない読み方しているよ・・・
そのあたりもあるんで続編もしっかり読んでみようと思ってます。とりあえずこれは入手済み。

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)



続いて昨日は感想文といいながらほぼ全く感想を書いていなかった内容のお話。ここから先はレベル4の作中世界に浸ります。
なんつーか、微妙にせつなさを感じるストーリーです。現実から非現実に飛んで最後また現実に戻るような構成なんだけど微妙にせつない。
この作品で感じたせつなさは、俺が2005/11/27に書いたようにハヤテのごとく!のおかげで思いつき、2005/12/17に一般化してみた

諸行無常、その当たり前の事実に人は支配されている。支配されているからこそ感動し涙することが出来るのある。

とは違う種類のような気がしてならないです。
だからインターナルリンクが張れなかった。
キョンハルヒの存在している世界。その世界はハルヒによって作られていてハルヒによって壊されてしまう可能性もあり得る。その世界が壊れるかもしれないと言う危うさがせつなさを感じさせている様な気がしますね。
無理矢理時の流れに当てはめて言うと、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品では「時を止めていたい」という感覚が「この世界を守りたい」という感覚に置き換わり、「それでも時は流れていく」という感覚が「この世界はあるきっかけで壊れてしまう」という感覚に置き換わっているんじゃないか。さらに、「時を止めていたい」に対応する「この世界」の中でも時が流れていくからややこしくなっているんじゃないかと思いついたんで書いてみましたがいかがでしょうか?
ほーんと、今思いついた。
なるほどね。そう考えればまだあの理屈は行けてるな。たぶん俺の脳内だけでだろうけど(笑)




ハルヒ関連で初めてここにアクセスした人もいると思うので最後にひとことだけ。定期的に見に来てくれている方、くどくてごめんなさい。
俺はまぁこんな感じで結論を出したがります。それが正しいか間違えているかってのはわからなくても、とりあえず複雑な物でも単純化して「こういうことだ」と決めつけたがります。たとえ間違えていることがわかっても、また別の間違えた決めつけをする始末が悪いやろーです。
そんな俺が未だに決めつける言葉を思いつかない物語、それが「ハヤテのごとく!」です。もし、読んだことがない方がいらっしゃったらちょろっと見てください。「つまんね!だまされた!」と思ったら・・・賠償はしませんが先に謝罪しておきます。ごめんなさい。


追記:
アニメ最終話見てみた。原作が漫画なのも含め、ここまで原作に忠実なアニメも珍しいような・・・
かわいい女の子がいっぱい出てくるからうちの家族が喜びそうなアニメだなと思った。(笑)