物語性についてのメモ(その2)2006/8/17版

いきなり流れぶった切って追記しますが、ひなたのゆめで開催していた「第1回ハヤテのごとく好きなキャラアンケート」の集計が終わったとのこと。おつかれさまでした。
http://ombramaifu.qp.land.to/index.php?e=488
ハヤテ・ナギより、ヒナギク・マリアが人気あるってのが、、まぁ想像はしていましたが、、、で俺も違う人に投票しましたが、、、
来年の今頃はどういう力関係になっているんでしょうかね?


未整理のメモ書きです。
過去に書いた物との重複、まだ整理された形で書いていない物が混ざっていると思います。
今日は登場人物それぞれを切り口にした物語要素とそれに関連したことを書きます。

ハヤテ

  • 借金返済
  • 幸せ探し
  • 恋物語
  • 成長物語

ナギ

マリア

ヒナギク

伊澄

ワタル

一応、私が読んで作中などで描かれていたり示唆されているものだけを列挙したつもり。


登場人物それぞれの成長物語が主要な骨格だと思われるが、ベクトルが異なる。現時点で見ると、意外や意外、普通の少女西沢歩がそれぞれの成長の着地点に最も近い存在かも。
普通じゃない人たちが普通を目指す物語?


恋物語と幸せ探しが必ずしも同じ場所を目指しているとは限らない。恋が実ることが幸せになれるという単純な構成ではない。成長が恋物語をハッピーエンドに導くための必要条件になっているが、成長した結果恋物語が無効化される可能性もある。
ある人が成長することによって別の人も別の方向に成長するという現象は当然起こる。逆にある人の成長がある人にとっての生き甲斐を奪うという側面もある。
そもそも幸せとはなにかということがテーマの一つになると思われる。エンディングまでに、登場人物それぞれが何を持って幸せと感じるかということが変わっていくと思う。そしてそれは登場人物それぞれにとって違う価値観。


ハヤテとマリアは主要登場人物なのに物語があることが示唆されているだけで具体的に始まってはいない。ある日付がくるまではじめることができないと予想している。その日付にナギの成長度がある一定の範囲内に収まっていれば物語継続、それができていなければ物語終了になってしまうのでは?
今の状況をみると、ナギの成長が物語の一番大きな要素だと思う。


ベクトルが違う物語要素が多すぎる。主要登場人物3人+サブキャラクターという構成だと思うが、サブキャラクターにもそれぞれ重すぎる物語要素を持たせてしまっている。主要人物の物語要素も一つの帰着点を目指しているわけではなく、ある要素が完結すると別の要素の完結が難しくなるというような構造となっている。そのため、エンディングが決まっていることを予感させる話なのに、何を持って物語が終わるのか全く読めない=終了の必要十分条件がない。

ここから日付が物語の終了条件だと類推した。


日付が条件なら、重厚で複雑な物語要素はハヤテのごとく!という作品では飾りでしかないのかもしれない。
この漫画で描かれるのは時間経過。しかし、ただひたすら時の流れを描くためには、登場人物個人も、それぞれの関係も常に変化するようにしておかなければならない。そのために登場人物それぞれに大量の物語要素を持たせているのでは?


作者の頭にはおおよその流れと、登場人物がどのような状況だったらどういうイベントがいつ起こるかということがある。しかし、漫画として成立させるために期せずして登場人物のステイタスを変えなければいけなくなることがあるので、好きなように描ける状況になっても意図通りに物語を進めることができないのでは?−>それが作者にも読者にもおもしろい




物語要素がファン層の広がりに貢献していることは確か。ただし、ギャグとシリアスと言う単純な切り分けでは済まない多様な話が描かれるので、話によって気に入る人、気に入らない人がはっきり別れているように思われる。
一話一話で読者が満足する物を描きつつ、全体としては壮大な物語を描くというのはなかなか難しい挑戦だと思う。−>しかもそれは飾りかも。
作中で描かれるのは虚構世界の日常。作中世界内での大事件というのはそれほど起こらない。起こっても登場人物はものすごく低い個人的なレベルで認識をして軽く流す。−>ギャグ漫画のお約束
作中で世界を変える物語はどうしても現実世界を下敷きにしなければならないので物語としてのブレイクスルーは難しいが、虚構世界の日常を描くと作者の意図とは違うところでブレイクスルーが起こることがままある。


とりあえず昼過ぎたしこの辺で。後で入れ替えするかも。


ここから追加:
人間関係同様、その時点で誰が誰のどの設定を知っているのかを書き出す必要がある。
XDayは全て状況証拠のみで特定。説得力のある根拠はどこかに隠れていないのか。またそれによって終了のタイミングが変わることはないか。
XDayが存在すること自体はきっちり読めば推測できたので特定もできるはずでは。
隠された設定の重要度は今のように低く考えてよいのか?三千院家とハヤテとの間に裏設定があるようなら状況はずいぶん変わる。俺は無いと読んでいる。
マリアの姓は九分九厘○○○。姫神という人物が物語にどう絡んでくるのか。ハヤテとナギの別れに絡んでくるのか。
隠された設定で読ませる漫画ではなく、作中の変化で読ませる漫画。一つの目標に到達するまでを描く漫画ではなく、作中で登場人物それぞれが別の目標を見つけ出す漫画。
過程を読ませる漫画なので必要以上に説明的な描写が必要になり、しかもそれがその話からは浮く感じがすることが多いので違和感を醸し出している。作者の特性もあるが物語の特性もその要因となっていると思う。
16才世代と13才世代ともう一つ大人世代が必要になるのか。
ナギの世界と歩の世界は作中で想定されていることはほぼ確実だがヒナギクの世界を想定していてもよいのか?
ラストシーンの言葉は何か特別な言葉ではなくごく普通の言葉だと想像しているがヒントはないものか。ただXDayがいつなのかがわからないとどのような言葉かも想像しづらい。
おそらくは「時」を連想させる言葉だと思う。
そのどうでもいい言葉で物語の終わりを感じさせるためにこれだけいろいろな設定があるのではないか。


関連記事:ハヤテのごとく! 物語性についてのメモ(その1)2006/7/31版



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