『指輪物語』(ロード・オブ・ザ・リング)

新版 指輪物語〈1〉/旅の仲間〈上〉

新版 指輪物語〈1〉/旅の仲間〈上〉

一般に「古典」と言われる文学、それも海外の文学にはほとんど興味がない私でも、『指輪物語』という作品の存在は知っていた。いや、「古典」というには語弊はあるかもしれない。この作品は第2次世界大戦より後に発表されている。
言語学者が書いた壮大な物語という先入観から、恐ろしく難解な物語であると誤解していた。しかし、映画化され、それが大ヒットするに至り、どんな内容であるにせよ、たとえ私にとって歯が立たない作品であるにせよ一度は読んでみたい、そう思っていた。


以前、私は物語を「秘密開示型」と「因果応報型」に分類した(2006/8/21の記事参照)。この物語は意外なことに因果応報型であった。つまり、物語の柱となる秘密を先に開示している。秘密を保つことによって読者の興味を引くような作品ではない。物語の最後、主人公たちが目的を達成することができるのかというのが、読者の最大の興味であろう。しかし、それが達成されることは、「二つの塔」の最終行で明かされている。また、他の登場人物に与えられた隠された設定も、注意深く読めば読者があらかじめ予想できるように記述されている。登場人物たちの取った行動が、その後の出来事に影響を与える「因果応報型」が物語の主軸となっている。


ホビットと言われる架空世界の住民の一人、フロドは、冒頭で自分に与えられた使命を知ることになる。そして、その使命を全うするために冒険の旅にでる。旅の途中、フロドとともに行動することを望むホビットの仲間、あるいは、別の目的のためにホビットとともに旅を続ける事を選んだ仲間、さらにはホビットを助けるために、自ら進んで旅の友となる事を選んだ仲間、そして、ホビットを導く役割を担う仲間と出会う。
旅の途中、ホビットは自分たちが知らない世界があることを知る。しかし、反対にその知らない世界の住民たちはホビットのことを知らない。お互いに理解し、助け合い、使命達成のために与えられた役割をそれぞれが担っていく。


これは、物語と言うよりもゲームの世界だ。


最終的な使命を成就するために、ある難関を突破しなければならない。そして、別のもう少し簡単な難関を突破して、その難関を突破するためのアイテムを入手しなければならない。
指輪物語』は、その後生み出された数多くのファンタジックな物語に影響を与えているのだろうが、それ以上にゲームに影響を与えている様に思える。しかし、私は欧米文学には詳しくない。もしかすると『指輪物語』に影響を与えた物語が多数存在し、それがゲームに影響を与えているのかもしれない。


私は、実際にこの物語を読む前、大きな誤解をしていた。それは、『指輪物語が』欧米的キリスト教的宗教観に支配された物語だと想像していたことだ。宗教に明るい読者は、この話の根底には宗教観が確かに存在すると理解している危険はあるが、私にはそうは思えなかった。
私には、この物語が、神々が存在する前の世界を描いているように見える。つまり、この物語の登場人物たちが、この中つ国という架空世界、さらにはこの物語では描かれていない周辺の世界での「神」となるまでの物語なのではないかと理解した。2006/3/23に取り上げたダ・ヴィンチ・コードへの感想、2006/5/21に取り上げたハリー・ポッターへの感想の中で、欧米的宗教観が根底にあるので、その宗教観を持たない人間には根本的に理解できない部分があるというような趣旨のことを書いたが、『指輪物語』を読むにあたってはそれは必要ない。影響は与えているであろう。しかし、この物語自体が神話であり、この物語を理解すれために、その背後にある現実の宗教観を理解する必要はない。
しかし、『指輪物語』にも理解が難しいところが確かに存在する。それは「言語」だ。新版あとがきで言葉を翻訳する苦労については触れられている。おそらく、英語を母国語としていて、英語でこの物語を読む人々にとっては、この物語はまた別の顔を見せているのではないかと想像している。


さて、この物語のラストシーンについて語る前に、「著者ことわりがき」で触れられていることについての感想を書いておきたい。本来、誤解を防ぐために引用させて頂くべきなのだが、長くなるのでこのサイトの読者も原典を読むという前提で記述する。
作者は、この物語が現実世界と結びつけて考えていないのだ。作者が作品と現実世界を恣意的に結びつけることを指して「寓意」と訳されている。逆に、読者が作者の意図を超えて現実世界と結びつけることを「適応性」と訳している。『指輪物語』には「適応性」はあるが「寓意」は無いと明言している。いいかえれば、この作品の舞台である中つ国は、現実世界のどこにも存在しない場所であり、そこでの出来事は現実世界で起こったいかなる事件とも関わりがない「虚構」であるということだ。当たり前のことである。しかし、この著者ことわりがきは原著では冒頭で著されている。
昨今、現実と虚構の区別が付かない人が増えているなどといわれることがある。しかし、現実と虚構の区別が付かない人は昔からいたのだ。虚構世界は現実を下敷きにしていると考えると理解しやすいが、作者は虚構は虚構だと割り切って世界を構築している。そのことを念頭に置いてこの物語は読む必要がある。
翻訳するにあたり、「著者ことわりがき」を末尾に置いた理由もわかる。当時のイギリスの状況では冒頭に記述する必要があるが、現代の日本ではその必要はないのかもしれない。しかし、冒頭にも欲しかった。冗長ではあるが、冒頭と末尾の両方にこの言葉があれば読者の理解を助ける物になったのではないだろうか。
「著者ことわりがき」からもう一点簡単に触れておきたい。ある読者から「失敗」と指摘された部分が、別の読者からは「賞賛」を受けたというところだ。作品の評価というのは基本的には主観が全てである。自分の評価と周りの人の評価が完全に一致することなどありえない。そして、作者の意図を完全にくみ取れることもありえない。本の感想を書くにあたって、そのことを忘れてはいけない。決めつけるのは簡単だ。しかし、他の人からみるとほとんどの場合その決めつけは間違えている。


さて、物語の最後に触れてこの感想文を終えたい。
指輪所持者、あるいは過去に所持していた登場人物たちは旅に出る。旅はフロド、そして『指輪物語』より前に冒険を経験したビルボの誕生日をきっかけに始まり、使命を果たして旅を終え、ホビット庄にかえってきた後、また誕生日をきっかけに終わりを迎える。この物語は誕生日はあくまでもきっかけにしか過ぎない。物語終了の条件は誕生日が訪れることではなく、指輪が破壊されることだ。
指輪保持者が旅立った事をきっかけに中つ国は一つの時代(第三期)を終える。切ない物語だ。冒険は終わった。残された者たちはそれぞれの使命のもと平安な日々を迎えるであろう。しかし、時代は終わってしまった。
それでもなお、伏線は用意されている。心ならずも指輪を一時的に所持してしまったサムもいずれは旅立つのだろう。ペリーやピピンはいずれまた南へ旅出すのであろう。その新しい物語への予感が何とも言えぬ読後感を醸し出している。


ラストシーンについて一点だけどうしても触れておきたいことがある。指輪所持者たちが「西へ」と向かったことだ。2006/8/22に書いた記事の中で

Westという言葉を象徴的な言葉として捉えればまた別の意味が出てくる。(中略)
話を東洋にもってくるとまさにそのものズバリの言葉があります。「西方浄土」。(中略)
洋の東西を問わず、西という言葉に同じような印象を持っている人が多いのかも。

と書いた。
指輪物語』でも、使命を果たし、役割を終えた者たちは西へと向かったのだ。


文庫 新版 指輪物語 全9巻セット

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