なぜ「はてな」を使っているのか?

最近「はてな」というサービスについて書いていらっしゃる方が、主に「はてなダイアリー」で目立つ。目立つとは言ってもこれもはてなのサービスである「はてなブックマーク」で目立っているのでコップの中の嵐なのかもしれない。
私がたどった限り発端となった記事は
はてなが敬遠される3つの特徴〜つながりやすさの行き着く先
ちょうど、なぜ自分が「はてなダイアリー」を選んだのかという山も落ちも無い話を書こうかななどとも思っていたので、自分語りに他の方の考察とそれに対する私見を交えて書いてみようかと思う。


まずは数あるサービスの中で、私がなぜ「はてな」を選んだのかと言うことを書いてみる。これが今日の記事の本体である。
生活にメリハリを付けるための日課として日記を書くことを思いついた。数十年前には学校などの狭いコミュニティで文章を書いていたので、それなりに文章力はあると思っていたし、少なからず自己顕示欲もあったので公開もしてみることにした。*1
流行のブログとやらのスタイルを取るつもりはなく、単なる日記として続けられればいいなと思っていたので、サービス名に「ブログ」が入るところはまず却下してみた。日記とかダイアリーとかつくサービスの中で、某サイトの某IT戦士記者が取り上げることが多かった会社がサービスを提供しているというミーハーな理由で「はてなダイアリー」にしてみた。


それだけである。


周りにこんな感じの公開日記を付けている人がいなかったし、ネット上だけの知り合いなんか一人もいなかったし、2ちゃんねるの書き込みも参考程度にしかならないとしか思っていたし、どうせ三日坊主で終わるだろうと思っていたし、どこでもよかった。
その後はてな市民という謎の集団*2に自動的に加入させられて、キーワードが登録・変更ができるらしかったので適当に遊んでみたりした。あるきっかけで有料オプションを使うようになってからの話は2006/8/29の日記に詳細に書いた。


さて、今年に入ってから親しい友人にもこのサイトの存在を教えたりほのめかしたりするようになった。ある時、ある友人に「はてなで日記書いている」と言った。その時返ってきた答えは「URL教えてください」ではなかった。「マニアックなキーワード作ってみてください。」だった。実際自分以外に言及する人がいない、あるいは自分ですら言及しないのにやたらと詳しく記述したキーワードをいくつか作っている。友人がそれに引っかかるのを楽しみにしているが、私の興味と彼の興味とは重なるとは限らないので永遠にたどりついてくれないかもしれない。
それはともかくキーワードという仕組みは面白い。自分が書いた言葉が勝手にリンクされる。で、自分が書いた意図とは違う意味を持っていることを知ることができる。適切な言葉にリンクされなかった場合に自分で新たに作ることもできるし、おもしろがって放置することもできる。記述に足りないところがあると思えば追記することもできる。
そして、もう一つ。ひっそりやっているサイトでもキーワード経由でそれなりのアクセスが来る。このシステムは「はてな」のアドバンテージかなと思っている。わざわざ日記を公開するような人には、程度の差こそあれ、より多くの人に見られたい、読まれたいという自己顕示欲はある物だ。


萌え理論Blog それでもはてなを使う理由〜はてなの欠点こそ最大の武器
確かに「はてなキーワード」のコンテンツが検索で上位に来ることが多い。さらにこのサイトを含め、「はてなダイアリー」のコンテンツが無意味に上位に来ることも多い。その理由は上記のキーワードの自動リンクで被リンク数、リンク数が増えるからとのことだ。
実はこの「リンクが勝手につく」というのはもう一つ効果がある。あたかも「良いシステム」「良いコンテンツ」であるかのように見えてしまうのだ。
5年以上前のこと、ブラウザで動くシステムを初めて作ったとき、リンクではなくクラサバの画面のようにボタンでページ遷移をするようにした。えらく受けが悪かった。で、UIを改良して基本的にリンクで動く様にした。そこそこ受けた。さらに、リンクを自動生成してたくさん埋め込まれる物を作った。さらに大受けした。
システムとしては同じ物なのに、特に最後の改良は理屈で考えるとユーザーが混乱するインターフェースを付け足した「不要な改良」であるにも関わらず、リンクを貼っただけで喜ばれてしまった。ユーザーだけでなく自分にもメリットがあった。操作方法の説明が不用になった。
どうも人間、自分がこれを知りたい、このデータを見たいと思ったところにマウスカーソルを当ててクリックするという習性があるらしい。そして、クリックしたとき、まず画面が変わらないようじゃだめだと判断するらしい。さらに思った通りの情報が画面に出てくればかなり満足してくれるらしい。で、情報を表示するために埋め込んだ仕掛けが多い方が、たとえ無駄な情報が表示されるにしても基本的に嬉しいらしい。


はてな」で記事を書くと大量のリンクが生成される。私から見ると鬱陶しいのだが、読む人からするといろいろなところに飛んでいける面白い場所に見えているのかもしれない。つまり「はてなダイアリー」というサービスを使って書いた記事は、その記事自体一種のポータルサイトのようになる。普通のポータルとは違い、書いた側もどこにリンクされているのかわからない。明確な目的を持ってアクセスしている場合は鬱陶しいのだが、時間つぶしにアクセスした閲覧者から見るとほかのブログサービスに比べ面白いサイトになっている。


ブログというメディアでの書き手と読み手との距離感はmixi2ちゃんねるの狭間なのかなと感じている。今まで交流することができなかった人と適度な距離を持っておつきあいすることができる。そして、そこに現実社会での知り合いを巻き込まないで済む。
そのなかで「はてな」が提供しているサービスの占める位置を考えてみると、IDによるトラックバック、Webリングの仕組み、「はてなブックマーク」でのコメント、そもそもの「はてな」のサービスである人力検索などを見ると、ブログとmixiとの間をさらに埋めることができるサービスではないかと思い至った。イメージとしてはかつてのNiftyより少し距離が離れているような感覚だ*3。つながり感は欲しいけれど距離感も保ちたい、全く接点がないひととも交流がしたいけれど、その人がどういう人かある程度は見極めたい。自分自身のコミュニティを誰でも見ることができるけれど参加するには登録が必要な出来合いのバックボーンの下で作りたい。そういうニーズは確実にあると思う。
私は「はてな」が持つそういう特性を全く理解せずに日記を書き始めた。確認してみたところ、初めてのコメントと、初めてのリンクは「はてな」外からだった。別に違和感はなかった。公開されているのだから外からのアクセスの方が遙かに多いはずだと思っていたからだ。そういうユーザーからみると、「はてな」というサービスの利用者全てに独特の文化が浸透しているとは思えない。もし仮にそういう物があるとしても、その中に組み込まれることをよしとしない人でも生息可能である。


もし私が人に「ネットで日記を書き始めようと思うんだけれどどこがいい?」と聞かれたら、「どこでもいいだろうけど俺は『はてな』だよ。何かしら書いておけばキーワードでつながるから面白いよ」と答えると思う。特に、あまりネットになじみがない人から聞かれた場合、いずれその人に使い方、書き方を聞かれることを想定して自分が使っているサービスを勧めると思う。
そうなったとき、私は意識してその人の日記にコメントを付けたりトラックバックを送ったりするだろうか?たぶんしない。私がその人のサイトを気に入るかもわからないし、その人のサイトを気に入る人が私のサイトを気に入るとも思えない。もちろん面白い記事ならコメントを書くだろうしトラックバックもするであろう。そしてそのコメントは、ネットで知り合った人に対する物とは若干違うニュアンスがこもった物になるであろう。しかしそれはあくまでもその記事に対してのコメントでありトラックバックであって、現実社会のその人に対しての物ではない。その人はその人のコミュニティを作るべきであり、そこを現実社会のコミュニティに近い物にしたいのだったら、mixiなど、比較的閉鎖されているサービスを選択するべきだ。


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*1:実際書いてみると文章ぼろぼろだった…

*2:登録したとき仕組みを全く読んでいなかった

*3:Niftyには全くなじめませんでしたし、なじみたいとも思わなかったけれど…