マルチシナリオシングルエンディングというシステム

10巻が発売されて日記にあるように既に手元にありますがまだ読んでいません。今日は久しぶりにコミックス発売に合わせた長文をアップロードします。
で、本編に入る前に言い訳。
読み返すと「何当たり前の事書いているんだろう?俺??」と思うことがありまして…。でも考えると「いいやこれでいいんだ」と思える不思議な状況でして。一番悩ましいのがタイトルで…。これだと伝わらないような気がするんだけれどこれじゃないと伝わらないような気もする。全く持って不思議な状況。
なので、逆に今日アップロードすることは正解なのかなぁとも思っています。この感覚はこの漫画を初めて読んだ時の感じに近いから。
今日の長文では『ハヤテのごとく!』という作品の生誕の秘密的なところに迫れたかも知れません。比較的短いですが、今まで自分で書いてきたことを下敷きにして書いているのでこの文章だけ読む人にはわかりづらいかも…。今回は「ゲーム」を引き合いに出しています。俺がゲームのことを誤解していたら絶対伝わらないだろうな…。


言い訳はこれくらいにして<って長いよ!本編をコピペしますかね。コピペだからあっという間なんだよね〜。

ハヤテのごとく! 10 (少年サンデーコミックス)

ハヤテのごとく! 10 (少年サンデーコミックス)


ハヤテのごとく!』マルチシナリオシングルエンディングというシステム



ハヤテのごとく!』という漫画が紹介されることが各種メディアや個人サイトでも多くなってきました。テレビアニメになることによってますますその機会は増えると思います。しかし、このサイトでの紹介も含め、未だ「この紹介はすばらしい」という物にはお目にかかれていません。強いていえば10巻の帯にあった紹介とダイジェストが一番わかりやすいでしょうか。なんともとらえどころがない漫画であり、短い言葉で内容を紹介することは難しいし、特定ジャンルに色分けをしただけでも誤解を産むだけではないかと感じています。その結果「執事コメディー」などという怪しげなジャンルに分類されているような気がしています。
しかし、私は、この漫画を簡潔に説明する短い言葉を知っています。

  • 変な漫画
  • おかしな漫画

この二つの言葉は微妙にニュアンスが違うように思われるのですが、それを考えるとまた袋小路にはまりそうなので今日は触れません。とにかく「変」という言葉、「おかしい」と言う言葉が『ハヤテのごとく!』という漫画を表現するのに最も適した言葉です。
今まで私は、この漫画についていろいろと考えてきたことを言葉にしてみました。ギャグ漫画としてどこがおかしいのか、物語としてどこがおかしいのか、結局は決定的な言葉はみつかりませんでした。今日は方向性を変えて「『ハヤテのごとく!』という作品はどういうシステムで構築されているのか」ということを考え、そのから得た一つの結論を呈示します。


このサイトの文章を初めて読む方に前提条件をお話ししておきましょう。私は『ハヤテのごとく!』という漫画には唯一無二のエンディングが用意されていること、そのエンディングに到達する条件は「日付(時間)」であることを予想しました。その二つの予想は作者の言葉によって裏付けが取れました。まだ裏付けが取れていない予想として

  • 物語終了日付ははじまった日から3年と1週間後(2004/12/24スタートとすると2007/12/31が終了日)
  • ナギをはじめとする13才の少年少女たちは物理的に成長し、16才の少年少女たちも含めて全員が精神的に成長する

が残されています。当たるかどうかはわかりません。はじまった日の1年後2005/12/24〜12/31に物語が終了するという考え方も捨て切れていません。もしそうならば後者の予想は必然的にはずれると考えています。*1
また、私はこの漫画の世界観を大きく三つに分けて考えています。

それぞれの世界では違う価値観を持つ人々が住んでいます。それぞれの価値観は時に一致し、時にぶつかり合う。その中で物語やギャグが生まれていく、そういう流れだと考えています。




ここからが今日の本題になります。


ハヤテのごとく!』という漫画を一言で紹介することが難しい理由はどこにあるのだろうか?
それは、この漫画のシステムに原因があると思い至りました。


この漫画の作者、畑健二郎さんは漫画もアニメも、そしてゲームもお好きとのことです。その話を伺って、普段はあまりやらないゲームをいくつかやってみたりもしました。その結果思い至りました。
ハヤテのごとく!』のシステムは恋愛アドベンチャーゲーム*2に作者が抱いていた不満を解消しようとして生まれたのではないか。
実際自分で遊んでみました。面白かったです。でも不満が残りました。ご存じない方のためにシステムを説明します。
主人公にはある決められた期間が与えられます。その間に決められた回数行動を選択することができます。具体的には「どこに行く」や「誰と会う」という事を選択できます。そして、ある条件にあてはまるように選択を行った場合、決められた期間の後、登場する女の子の誰かと個別におつきあいをするシナリオを見ることができます。
私が遊んだゲームはそのシナリオが非常によかったのですが、若干の物足りなさを感じました。
主人公が会わなかった女の子はその時何をしていたのだろう?
個別シナリオに入った時、対象となる女の子以外は幸せなのだろうか?
お断りしておきますが、一本だけ、それも非商用ゲームをやっただけなので誤った結論に到達した可能性は否定できません。それは違うという批判を頂ければ幸いです。
私は、畑健二郎さんも同じような感想を持っていたのではないかと推測しています。そして、「漫画」というメディアでそれを解決した創作物を作ることはできないものか考えたのではないかと。


続いては「プリンセスメーカー」というゲームです。育成ゲームというカテゴリーだと思われます。プレイヤーが10才くらいの女の子を育てることになり、お稽古ごとやアルバイト、さらには冒険をさせて成長させていくゲームです。ある年齢の誕生日*3に、その少女の能力値や性格がどのような状況になっているかによってその子の一生が決まるというゲームです。余談ですがこのゲームは一見男性向けに見えますが女性受けが非常に良いです。無茶をさせると病気になったり家出をしたりしてしまい、涙してしまうこともあるとのことです。
話を戻しましょう。このゲームも面白いのですが、育成するのはただ一人だけです。同時に何人も育成することはできません。ヒロインの女の子以外は全てサブキャラです。物語の外で勝手に成長していきます。


最後はゲームとしてはプレイしていない「スターオーシャンセカンドストーリー」です。このサイトのコメント欄で薦められたゲームですがシナリオを読むと面白い構造を持っている。まずプレイヤーは二人のキャラクターの中からどちらかを選びます。主人公を選択することができます。そして、ゲームの終わりにパートナーを選択するという場面があります。その選択は自由意志ではなく、そこまでにどのような行動を取っていたか、システム的に言うとどのフラグが立っているかによって決まります。
ロールプレイングゲームに「ギャルゲー」要素を加えたようなイメージを持ちました。




では『ハヤテのごとく!』の話に戻りましょう。
この漫画は一見「ギャルゲー」のようなシステムに見えて実は違う。例えば9巻でヒナギクさんの家にハヤテ君が泊まった時に、ヒナギクさんと西沢さん二人だけの時間というのを作っています。この二人にはそれぞれが主人公の物語が用意されています。
作者はたまに「1周目」「2周目」という表現で自作を説明することがあります。先日ようやくその意味がわかりました。この言葉は「ギャルゲー」の世界の言葉のようです。1周目で攻略可能なキャラというのは、エンディングが用意されているキャラです。2周目にならないと攻略ができないキャラはエンディングが無い。そのエンディングは作者が言う「トゥルーエンド」とは別物ですが、漫画本編で描かれるはずです。もしかすると、98話(10巻2話)はヒナギクさんという登場人物にとってのエンディングだったのかもしれませんが、物語終盤に別のエンディングが用意されている可能性もあるので予断は許しません。
次に、育成ゲーム。プリンセスメーカーでは育成するのは一人の女の子でしたが、この漫画では読者が自由意志で操作できない代わりに成長する子供が多数用意されている。そしてその登場人物たちは互いに影響を与えながら成長していきます。成長するキャラクターを選択するというタイプの育成ゲームともまた違いますね。
最後に主人公を選択可能なロールプレイングゲーム。この漫画の場合、というか漫画というメディアを使った創作物では、主人公の選択はシステムではなく主観で行うことができます。作者が呈示した主人公はハヤテ君ですが、読んでいるうちに読者は別の登場人物に主に感情移入することもできます。主人公だけではなくヒロインについても同じ事が言えます。
ハヤテのごとく!』という漫画はゲーム的な構造を持っていることは事実です。ただ、ゲームではありません。漫画です。そこが決定的に違う。


こういうことを考えているうちに、最初に掲げた前提条件を補足する必要があるのではないかと思い至りました。

この世界観はギャグ漫画として捉えた場合に扱いやすいです。しかし物語として捉えるとちょっとおかしいのではないか。
98話(10巻2話)を読むとそれは顕著に表れます。
おかしいんですよ。
インターネットでの感想を見ると、この話を読んで「めぞん一刻最終巻以来の破壊力」と感じた読者は私だけでは無いのです。
おかしいです。
ハヤテのごとく!』という物語の序盤にそんな感動的な話は要らないはずなのです。むしろ邪魔になるのです。今後、これ以上の感動を読者は求めてしまうし、そもそもヒナギクさんは主人公でもなければヒロインでもないのです。


そこで出した結論はこれです。
98話(10巻2話)ではヒナギクさんが16才になるまでの物語が最終回を迎えた。
これ以外に考えられない。


しかし、98話までを注意深く読むとそれだけではないことに気づくはずです。ヒナギクさんの16才までの物語には姉の雪路が深く関わっていると。そして雪路には雪路の物語があるのではないかと。雪路の物語の脇役であったヒナギクさんですが、実は彼女自身も自分が主役の物語の中で生きてきたと。しかし、それは『ハヤテのごとく!』という物語ではないのです。もしかすると、ヒナギクさんはこの通過儀礼を経験して初めて『ハヤテのごとく!』という物語に入ることができたのではないかとも思えます。


ここでは桂姉妹を例に出しました。しかし、それだけではありません。例えば99話(10巻3話)で描かれた、ワタルくんとサキさんの物語も延々と続くのです。『ハヤテのごとく!』という漫画の作中作としてではなく、内包された形で…。最近、それはほぼ全ての登場人物について言えるのではないかと思い始めてきました。つまり、前述した

というとらえ方では不十分ではなかろうかということです。登場人物それぞれが別の世界を持っていて別の物語の主役を演じているという考え方です。それぞれの物語は複雑に絡み合っています。過去の経緯だけではなく、作中で描かれている時間内でそれぞれの物語が他の物語に影響を与え合います。それ故に、作者自身ですらコントロールすることは容易ではありません。さらに、それら全てがある日付を境に描かれなくなります。たとえある物語は完結していなくても。
極めて難解です。作中で「漫画はわかりやすさが大事」という言葉が出てきますがそれとは反しています。でも、その言葉を言ったのは「漫画に詳しくない」という設定のヒナギクさんです。漫画を知らない人にその言葉をあえて言わせたのです。


こういう構成でできあがった物語はもしかするとまだ世の中に存在していないかもしれません。少なくとも私は読んだことがありません。複雑さで言えば『グインサーガ』や『指輪物語』は『ハヤテのごとく!』に匹敵すると思えます。しかし、安心感がある。それは、あらかじめ定められたエンディングに到達した時が終わりだからです。『ハヤテのごとく!』の場合そうではない。日付が全てなのです。もし仮に終わる日付が公開されたとしても、その日付に何が解決されていてどんな課題が残っているのかはわからないのです。当然作者の頭の中にはそれはありますけれど、作者の思惑通りに進むとは限らないのです。気づいたらそれぞれの登場人物が主役となっている物語のバランスが崩れていて、「トゥルーエンド」に到達できなくなっているという可能性も十分あり得る、それがこの漫画の面白さです。
危ういのですよ。
作者の能力を誰よりも高く評価している私から見ても危うい。意図通りいけば歴史に残る感動的なエンディングを迎えることはわかっているのですが、そこまで到達できるのかどうかは直前にならないとわからないのです。ほんの少しのバランスの崩れがあるだけでもそこには行けない、たとえ無理矢理行ったとしても最大級の感動は得られないように思えるのです。


だから、面白い。


「時間」。それは多くの物語が人に感動を与えて来た源泉です。『ハヤテのごとく!』という漫画はそれをメインテーマとしているのですから感動するのは当たり前です。人間の本能に訴えかける要素ですから。しかし、それだけでは無いのです。




この漫画のシステムに名前を付けると「マルチシナリオシングルエンディング」になると思います。厳密にはシングルエンディングではありません。週刊少年漫画雑誌という厳しいシステムに対応するために用意されている暫定最終回が存在するからです。
作者が意図するエンディングは一つだけ。しかし、物語の中に複数の物語を取り込んでいる。それぞれの物語にもエンディングが存在しているけれど、そのエンディングは『ハヤテのごとく!』としてのエンディングではない。また、エンディングに到達する方法は複数ある。でもそこに到達できるとは限らない。そんなシステムです。
畑健二郎さんはどうやってこれを思いついたのでしょうか?私は前述したゲームに対する物足りなさと週刊少年漫画誌連載という制約が重なって偶然生み出されたシステムだと思っています。誰でも簡単にできる物ではありません。複数の物語を組み合わせるにはコストがかかりますし、ベースとなる才能も必要です。それぞれの物語が独立して発表されても読者の鑑賞に耐えうる物でなければならないと効果は出ないでしょう。この漫画には通常の物語の数倍のコストがかかっています。登場人物全員それぞれが主役となりうるだけの物語を抱えていないとうまくいかない。しかも、それらが絡み合わないと漫画としての統一感が生まれない、そんな難しいことに挑戦しているのです。


「マルチシナリオシングルエンディング」というシステム。いくつも用意されたシナリオのうち一つでも気に入ればファンになることができる。複数が気に入ればその関連性に気づきさらに深く読むことができる。そして、全てを受け入れることができれば…。読者は未だかつて経験したことがない読書体験をすることができるはずです。




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2007/2/6 ハヤテのごとく!リンク集のリンク集

*1:バックステージVol.62で2006年にはナギの胸が大きくなっていることが示唆されていますが物語がこの日付まで続くとは限りません。

*2:いわゆるこれがギャルゲーと言われる物なのでしょうか?

*3:私がプレイした物では全て18才だったと記憶しています