「キャラ萌え」できない読者から見た指輪物語とゼロの使い魔の違い

Something Orange 『指輪物語』と『ゼロの使い魔』の距離。
この2作の比較はいずれ避けては通れないと思っています。そういう話が出たので今日は断片的に…。次の本が発売されたりしたタイミングできっちり書いておこうかなぁ。無理かなぁ。
キャラ萌えできない俺から見てもルイズは可愛いわけで…。でも、基本的には話の筋を追ってゼロの使い魔っていう小説がかなり気に入ったわけで…。指輪物語とどっちが?って比較するのは無意味だとは思うのだけれど、それでもやっぱり比較したくなるのが人情ですよね。


この2作の決定的な違いは、指輪物語が欧米文化に根ざしているのに対してゼロの使い魔は日本文化、もしかすると東洋文化と言ってもいいのかも知れない、に根ざしている所にあると思いますね。
善悪の2元論では語れないところがゼロの使い魔の魅力なんですよ。さっき読み終えた明日にでも感想を書こうと思っている某推理小説でもそうなんですけれど、ある人にとっての正義はある人にとっての悪なんですよ。指輪物語ではそれがごっそり抜け落ちているように思えてならないんですよね。指輪物語に限らずハリーポッターでもね。それってわかりやすいことはわかりやすいんですが、どうも俺はそうじゃない話の方が好きなんだなぁ。
ゼロの使い魔って物語の最終的な目的地はどこにあるかというと、虚無の魔法がハルケギニアに世界に動影響を与えるかってのもあるけれど、主人公視点で見ればやっぱり元の世界に戻るかどうかの決断をするってことだと思うんですね。その過程で信じるものが違う言ってしまえば敵である異人(あの物語の場合はエルフだね)たちとも仲良くならなきゃいけなくなっちゃうんですよ。話は逸れるけれど、それができるのが虚無の力っていうことだと思っているんですがどうでしょうか?


一般的にキャラクター小説とか萌え漫画とか言われている作品であっても、背後のストーリーだけ読んでも十分楽しめる作品はたぶんたくさんあるんだろうなと最近は思っています。