結末を楽しむ物語と過程を楽しむ物語

一般的な話として、結末を楽しむ物語よりも過程を楽しむ物語の方が長持ちすると思うのですよ。


一時的に大量に売れるのは結末を楽しむ物語だと思います。わかりやすいから。その本を読めば誰もが同じ経験をできるんだから。
その代表的なジャンルとして私が大好きな「推理小説」ってのがあります。うわそうだったのかこれはびっくり!みたいなラストを読むために読んでいると言っても過言ではない。
過程を楽しむ物語の代表例はおそらく「指輪物語」でしょうね。結末は最初から明かされている。しかし、その過程の冒険譚にみんな夢中になるわけです。


この二つは明確に分けられる物ではなく、一つの作品に両方が同居していることの方が多いです。読者の印象としてどちらが強かったかでその物語の属性が決まるんじゃないかと思います。ってことは読者によっては正反対の結論を導き出すこともあり得ると言うことです。


推理小説は結末を楽しむ物語ですが、そのくくりの中であっても例外的な作品もあります。例えば「砂の器」を頂点(と言ってもいいでしょうかね)とする社会派推理小説。あれはむしろ捜査の過程やら背後の物語の過程やらを楽しむ物語です。






この手の記事をまた書こうと思ったきっかけは昨日ふにふに様からいただいたコメントに「畑先生は原作の最後のプロットをアニメ版スタッフにそれとなく伝えている」とあったことです。
あの漫画はがちがちな過程を楽しむ物語なので、結末を知らされてもアニメのスタッフはあまり参考にはならないだろうなぁと思いました。