このサイトとこのサイトの中の人について

2007/6/30 読書感想文 綿矢りさ著『蹴りたい背中』特別でありたい自分
「ハヤテ、ネギま!よつばとを比較してみたい」なんて記事に反応して頂いたり、ちょっと前に書かれた時間と空間の話についても自分の考えを書いてみたくなったりしています。
ところがすごく書きづらくて…。昨日の夜何で書きづらいのか考えていたらなかなか眠れなくなり…。結局思ったのは、自分の中で「萌え」についても「時間」についても「空間」についても定義付けができていないんだなってことです。
厳密な定義づけなんてする必要ないしできないですけれど、少なくとも自分自身がその言葉についてどういうイメージを持っているのかを人に伝えられないと、何も伝わらないと思ったのですよ。しかし、そういう曖昧な言葉について自分の中でどう考えているのかをまとめるという作業は、おそらく自分に向き合う作業になってしまうのでつらいものがあります。人にはいろいろタイプがありますけれど、私は自分のやったことを気に病むたちで、ある出来事にプラスとマイナスの両面があったとしたら確実にマイナス面だけを覚えています。プラス面は忘れてしまうんです。余談ですがギャンブルには向いていないタイプです。なのに好きってのがまた…。もう飽きちゃってやってないですけれどね。


例によってまくらが長くなりましたが、よく考えたらこのサイトって自分が良く出ているなぁと思うんですよ。もちろん演技はしていますよ。自分ではしているつもりです。でも素が出ている。目を覆いたくなるくらいひどく出ている。だから読み返すの嫌いなんだな…。こういう人はたぶん創作にも向いていないだろうなぁ。
そんなわけで今日は極力ポジティブかつ冷静にこのサイトを見てみようかと思います。


このサイトの中の人の特徴は大きく2つ。

  • めんどくさがり
  • 視野が狭い

それがこういうブログスタイルのサイトの場合、いい方向に向かうことがあるって事なんでしょう。
ここに面倒なことを書こうとした場合、中の人は必ず検索をしています。いや、逆だな。まず必要があって検索をするんです。検索して役に立つ情報が無かった場合、ディスプレイに「うざっけんなこのばかやろうなんにもねーじゃねーか」と毒づきます。ディスプレイはいい迷惑です。しょうがないので自分で必死になって調べたり考えたりします。
で、それをここに書くと…。あーら不思議。競争相手がほとんどいない記事ができあがります。
人気がある記事はみんなそんな感じ。めんどうだから既にやっている人がいたらせいぜいそこにリンクを貼ったりショートコメントつけるのが関の山です。子供の頃からそういう人間で、だからだめなんだよなぁ。人と同じ事でもやっておいた方がいいことはあるんだよ。なのに…。いかんいかん、ネガティブになってきた…。そうそう明るくね♪。
あーあ…


次に「視野が狭い」。これはいわゆる「オタク体質」を持つ人の特徴だと思っているんですけどねぇ。興味がある物にはとことん深く突っ込む。興味がない物には見向きもしない。そして、スイートスポットは狭い。ここの中の人の場合は、狭い範囲にも浅くしか突っ込めていないんですよね。それがまた駄目なところで…。ちょっと深く知っている人がいると「めんどくさがり」が出てその人にまかせちゃうんだよな…。あーあ…。
いかんいかん。
とにかく視野が狭い。だから絞り込めるんですよね。小説だって読むのは好きだけれど、本当に気に入った本ってのは実は少ない。特に話題になっている本なんか読んで気に入ることはめったにない。なぜかというと、みんなが「いい」って言うと自然にハードルを上げちゃうから。実際読んでみてそれなりにおもしろくても「騒ぐほどではないし…」と思ってしまう。第一、人と同じ事するの嫌い。みんなこぞってやっていることはやりたくない。たぶんものすごく損をしていると思いますね。それだけに、気に入った作品やら事柄への思い入れは強いです。ただねぇ…。思い入れだけなんだよねぇ…。思い入れだけじゃやっぱダメなんだよ。伝わらないんだよね…。
だめだ…。






そんなわけで、ポジティブに考えてもダメなんですよ。ダメな物はダメ。
そこでようやく冒頭リンクした記事に話が戻ります。


あの感想文にも書いたと思うけれど、俺自身「人とは違う自分」に強烈に憧れています。実際にはどこにでもいる人であっても、そうではない自分になりたいと子供の頃から思っていました。たぶんそれは今でも続いています。
そして、なんというか、目に見える何かを変えたい、あるいはその起爆剤となるような何かを最初に見つけたいという思いも強く持っていました。学生時代友人が「プレートテクトニクスをひっくり返してやる!」と息巻いていましたがそんなことをやりたかった。ああ、これも余談ですけれどプレートテクトニクスは少なくとも私が学生の頃は「仮説」でした。ひっくり返る余地はある学説でした。状況的にひっくり返ることはまずありえないと私は思ってましたけれどねぇ…。すいません。先に進めます。
そんな気持ちを持っていたことすら忘れかけていた時に出会ったのがあれなんですよ。


ハヤテのごとく!


でも、めんどうなので検索で済ませようとしました。どうせ自分が感じたことなんかいくらでも転がっているだろうと思って…。
なかった…。


そして、その時たまたまネットで日記を書いていた。
実際ハヤテが俺が言うような作品なのかはわかりませんよ。もちろんね。それはわかっています。しかし、「もしかすると世界を変えるかもしれない」という物に、「もしかしたら世界で初めて気づいたかも知れない」と思える瞬間って、一生に一度あるかないかだと思うんです。発明王みたいな人には頻繁そういう瞬間が訪れるんでしょうけれど、普通にサラリーマンしていたらたぶん一生巡り会えないチャンスです。そこで持ち前の視野の狭さが生きたのかな?なんせ全くリスク無かったから、とりあえず行けるところまで突っ走れ〜って感じでしたねぇ。はずしても痛くないから。


えーーーーっと…。書き終わってみたらなーんか書こうと思っていたことと全く違う文章になってしまいましたがもう夜も遅いのでこれでいいことにします。タイトルを変えよう…。だめだこりゃ…。