答えを知るということ

私は答えを持っています。


ただ、その答えが他の人が用意した設問に対する物かどうかはわかりません。例示した2つの記事がそもそも答えを求めているのかもわかりません。そして、私が持っている答えが正しいのかどうか、それももちろんわかりません。


答えはもう書きましたが伝わっていません(笑)。しかし伝わらない方が面白い。いや、結果的に面白かった。
いずれは、と言いながらもういつにするか決めていますが、その答えをここに書く時がやってきます。なんですぐに書かないのかというと、もう少しその答えと一緒に過ごしたいから。せっかく伝わらなかった答えなんだから、もうちょっとの間、夢を見ていたい。


もし、その答えが正解かどうかはともかく、ある設問に対する解答になっているのなら、私にとってのゴールは別の人にとってのスタートになるはずです。もし、本当にそうなったらたまらなくうれしい。でも怖い。もしかしたら間違えた道を指し示しているかも知れないから。
でも、それでもやっぱり自分自身が考えたことは信じていたい。そうしないと、きっと誰も信じてはくれないはず。


偉く抽象的な文章ですが、これでわかっちゃう人がいるような気がしてなりません。もし私より先に私が書こうとしていることを書く人がいても私は予定を変えずに用意した文章をアップロードします。