読書感想文 松田権六著『うるしの話』感銘を受けた一冊


文庫で出版されていますが、もともと新書だったとのことなので新書カテゴリーに入れてみます。
本編の感想の前に気になったことがある。
手元にあるこの本、半年ほど前に新刊で買ったのですが、値段は本体\700、税込み\735。ところがアマゾンのリンクを貼ってみたら値上がりしている…。


それでは読むのに半年かかったこの本の感想を書いてみましょう。




「うるし」というのはなんというか高級品のイメージがありますが、よく考えてみると子供の頃は漆で塗られた製品に囲まれて生活していました。当時はむしろプラスチック製品なんかの方が高級っていうイメージがありましたね。漆器は庶民でも使える物。丈夫で長持ち。
毒物でもある漆を塗料として使う技を産み出した先人たちの知恵は未だ色あせることがありません。面白かったのはうるしの採集方法。ウルシの木の樹液を取って利用する場合、一気に取った方が効率が良さそうに思えるのですがそうではない。まずは少し取って、ウルシの木に大量の樹液を生産させるように仕向けるとより大量に取れると。一種の工場に見立てるみたいなんですよねぇ。それも別に研究の成果で導き出されたわけではなく先人たちの経験から導き出されている方法。


この本では塗りや蒔絵の手法などについても詳細に触れられていますが、それについては読んでみて下さいとしか言いようがない。雑学として楽しむもよし、この本を羅針盤にしてその趣味に邁進するもよし。楽しみ方は人それぞれです。




さて、うるしの話とは関係ないところで深い感銘を受けたところが2カ所あります。


1カ所は編集者、北川桃雄氏による後書きです。
この本の著者は松田権六氏ですが、松田氏が口述したことを北川氏が取捨選択して文字に落とし込んだという成り立ちになっています。その手順を踏むことでこの素晴らしい本が生まれた。
昨今、漫画の世界で創作者と編集者、出版社の不幸なトラブルが聞こえて来ます。しかしそうではなく、非常に幸せな邂逅も少なくとも過去には存在していました。おそらく、耳にすることはないでしょうがおそらくは、ほとんどの場合こういう幸せな関係が構築されているのでしょう。だからこそ、ごく少数の不幸な例が表面化した時に話題になるのだと思っています。


さて、もう1カ所。こちらは私の言葉で伝えることが難しいので、長文になりますが引用させて頂きます。
版によって異なるかも知れませんが、私の手元で確認するとP229〜230に当たるところです。

名品国宝といえども、欠点がないわけではない。一見とりえがないような作品でも、何かしらんよいところもかならずあるものだ。悪いところの穴探しをする暇があったら、よいところを見つける努力のほうが大切だということに気づいた。したがって私は悪口と批評とは別で、欠点の指摘は悪口だが批評にはならないものだと思った。欠点に気がつくことは批評への前提ではあっても、欠点の指摘をいかにながながつくしたとて批評の領域には入らない。長所を発見してこれを助長せしめ、この長所に活を入れて、全体に生命力を与えるための具体的有効な案を提供するものでなければ批評とはいえない。したがって、欠点の指摘がいかに的中しても、その範囲では創作とはならない。私のいう意味の批評ならば、たとえ一言といえども、その批評は立派な創作であって批評の圏内に入るべきもの、と思うようになった。

念のために書きますと、もちろんこの前後の文脈、さらにこの本全体を読んでみてはじめてこの言葉が説得力を持ち心に響くのだろうとは思います。
私自身が書いた感想を振り返ってみても、心ならずも欠点の指摘のみにとどまってしまっている記事の多いこと!あくまでもそれは過程であって、そういう感想しか書けない自分をさらけ出しているに過ぎないということではなかろうか?その思いを新たにしました。
私は自分の書いた文章で対価を得ようとしているわけではありません。それでも、この言葉を糧に、松田氏の言う「創作」の領域に入った「批評」なり「感想」を書きたい。自分で勝手にそう思いこむだけでなく、他の人からもそういう認識をしてもらえるような「感想」を書きたい。
そういう願望が生まれました。


松田氏はいわゆる「人間国宝」でした。この言葉は確かに「人間国宝」がおっしゃったから凄みを増していることは否定できません。それでも、誰が言ったかということをかくしてこの言葉単体だけ取ってみても輝いてみえます。


一冊の本でいろいろな思いを受け取ることができました。
良書です。