オタクかどうかはこの場合全く関係はない



あれ〜。また私はマイノリティですか?
あたし彼女」は壁を超えたとも思わないけれど批判されるほど酷い小説ではないし、また、あの小説を批判しているのはオタクじゃない。っていうか、オタクに限定をされない。
あたし彼女」を批判するというのは極めて普通の行為で特に話題にするような話じゃ無いと思うのですよ。


おそらく、あの携帯小説を批判する人は、あの小説をちゃんと読んでないとは思います。そのことは今まで2回書いたけれどもうちょっとだけ今日書いちゃおうかな。別にどうでもいいんですけれどね。
さて、携帯電話で小説っていう分野を読みもせずに批判する人がいる。了解した。それと同じ事が別の分野でも起こっている。いわゆるオタクが好むライトノベルを批判するような人は、おそらくライトノベルをちゃんと読んでいません。
私自身ライトノベルを読み始めてまだ2年くらいで、それもたくさんは読んでいない。もし仮に今、ライトノベルを読まずに耳学問だけでライトノベルというのはどういう物かを聞いていたら批判的な考え方を持っていたと思いますね。少しであっても実際読んでみたからなるほど結局は他のジャンルと同じで玉石混淆なだけなんだなとわかるようになったんですよねぇ。
ライトノベルを読む人はどのくらいいるんでしょうか?多く見積もって1千万人ってところですかね。携帯小説を読む人も、多く見積もって同じく1千万人と仮定してみましょう。それでも、ほとんどの人は読んでいないわけですよ。自分の周りの人に聞くと、読んでいない人ほど批判的なんですよね。そして、広い意味でのオタク、非オタ関係なく。私の属する30台後半から40台前半の世代ではほとんどの人が読んでいません。


それと同じ事であって、オタクかどうかなんて言うのは全く無関係です。エロゲだろうが音楽だろうが関係ない、知らない物、わからない物を批判する人ってのは必ずいるんだな。私だってねそうなんですよ。だって、最近になって再読するまでは、昔の文学作品なんかクソ食らえ!と思っていたもん。ところが、実際読むと面白い、というかツボに入る作品がいくつもあって、「ああ、これなんて今のライトノベルに直接つながっているなぁ」なーんてことも思えるようになりました。


まぁねぇ。オタクの側、オタクで無い側、それぞれがオタクを特別視したくなるのもわからんではないし、私自身も持っている「オタク体質」みたいなのがあるのは理解できるのですが、この問題はオタク、非オタクとは全く違う。




あたし彼女」、思わせぶりなことを書いたけれど、まぁ、わかりますよ。簡単。あれは最初の何ページかを読む我慢強さが試されている作品です(笑)。
一つは本当に誰でも簡単にわかりますよね。あのスタイルは携帯電話で読む事に特化している。文字の数、改ページ、ともに。他のメディアでは成立しづらい。紙にしてしまっては生きない。
もう一つ、いや、他にもあるんだろうけれどね、俺が気づいたのはもう一つ。一種のダブルミーニングをうまくつかっている。ああなるほどそういうことかと思うわけです。いい仕掛けです。その仕掛けのために冒頭読みづらくなっている、というか読みづらくしていると私は思っています。たぶんね、仕掛けた側としてはできるだけ自然にやりたいと思っても、多くの人に仕掛けを気づいてもらいたいという気持ちもあると思うんだな。だからああなっているんじゃないかな?


あとはそれをどう評価するか。私はこういうのが好きなので、「なるほど、この作品が賞を取ることには納得いく」と思います。ただ、最初の感想でも書きましたが、私の好みでは、この作品に対価を払いたいとは思わないです。そうでない人もたくさんいてそういう人が多いとは思うのですがね。ツボに入るかどうかってのはそういうことなんだなと思います。