綾辻行人著『びっくり館の殺人』 にかこつけて推理小説への思いを語ってみようかな

上の記事に書いた素敵なブックカバーを付けてもらった本です。

びっくり館の殺人 (講談社ノベルス)

びっくり館の殺人 (講談社ノベルス)



著者がおっしゃるように、この作品は「館」シリーズの正統な作品ですね。いや、まぁ。やられた。悔しい(笑)。
とまぁ、推理小説の感想文はこんな感じになっちゃいますね。うかつに中に踏み込んではいけない。それは鉄の掟。「館」シリーズが好きな人なら楽しめるんじゃないかなぁと思います。


さて、せっかく「館」シリーズを久しぶりに読んだので、私の記憶をたどってみましょう。
私は推理小説をトリック主体に読んでしまいます。その切り口で読んでも「館」シリーズってのはいろいろな要素が詰め込まれています。1作目の『十角館の殺人』の煽りは、たしか…「まだあった!大トリック!」だったと思います。確かにあれは大トリック。
でも、私が一番強い印象を持っているのは『時計館の殺人』なんですよねぇ。




この先、別の作品について多少踏み込んだ表現が入ります。古い作品ではありますがそれだけに未読の方も多いかも知れないので念のため。致命的なネタバレは回避する努力はいたします。






この頃を境に、いや、明確な境目は無いのですが、なんとなくこのあたりかなぁと思うのですよ、推理小説は明らかに変わり始めたと思います。
それは、

  • 「犯人」が「探偵」をいかにして欺くか

を楽しむのではなく

  • 「作者」が「読者」をいかにして欺くか

を楽しむようになってきた。
その流れが決定付けられたのが綾辻行人氏の『十角館の殺人』と筒井康隆氏の『ロートレック荘事件』でしょうか。『十角館の殺人』が1987年、『ロートレック荘事件』が1990年。その頃ですね。
しかし、綾辻氏はその後も様々な手法を繰り出します。ある作品では「探偵」が「読者」を欺き、そして別の作品では古典的な「犯人」が「探偵」を欺くという手法も使っています。そう。その「「犯人」が「探偵」を欺いた」作品が『時計館の殺人』です。この作品のトリックは、私が今まで読んだ推理小説の中で最も印象に残っている物の一つです。トリック自体は極めて単純です。でも、単純な物の方が印象に残るんですよ。しかも、このトリックはトリック自体に物語性を感じてしまう、少なくとも私にとってはそう感じる、そういう作品です。


いわゆる叙述トリックも決して嫌いではないのですが、やっぱり私は古式ゆかしい

  • 「犯人」が「探偵」をいかにして欺くか

というトリックの方が好きですね。
だからこそ、『涼宮ハルヒの動揺』に収録されている、谷川流氏の『猫はどこにいった?』がものすごく気に入ったんですよねぇ。あのトリックは単純だけれど秀逸だと私は思います。


話があっちゃこっちゃとんで自分で酔いそうになりました(笑)。
今日はこれでおしまい!


かな?