読書感想文 森鴎外著『阿部一族』

検索誤爆の状況から、読書感想文の題材として人気があるみたいだなぁと思って読んでみたのですが、なにこれ?何をどう感想書けばいいの??ちょろっと一読しただけで感想書くなんてむちゃじゃないか。ああ、だから課題になるのか。でも、この課題は苦痛だなぁ。他の作品も課題にして良いんだったら俺なら逃げます(笑)。


簡単にこの作品の概要を書いてみます。もちろん誤読を含んでいます。
この小説は阿部一族の悲劇というか喜劇と言ってもいい滅亡への軌跡を描いた作品です。阿部一族を取り巻く他の武士たちの勃興も描かれていますが、タイトルにもなっているのでそこにポイントを絞ってもいいと思います。
細川忠利という肥後の国、今で言うところのお殿様が亡くなった時、重用されていた臣下がこぞって後を追いました。後を追うと言っても簡単な話ではなく、後を追う許可をもらっていないといけないらしい。許可をいかにして得るか、許可を得られなかった場合どうなるのか。この小説ではいくつかの例とともにそれを丹念に描いています。
さて、ここで一つ目のテーマらしき物が見えてきます。
君主が亡くなった時、後を追うという行動の是非です。


でもね。その是非って、結局はその時多くの人にとって主流となっている価値観に依存しちゃっているんだろうなぁと思うんですよ。その当時、おそらくは君主の後を追うというのは当然の行為でした。その行為から逃げることはもちろんのこと、その許可が得られないと言うのは決して褒められた話ではなかった。君主の側に立てば、むしろ生きながらえて次代にも働いて欲しいという思いはあったはずです。実際そのような言動もこの作品で描かれています。しかし、仕える側の論理はそうではない。君主が死んだ以上、自分も後を追うのが当然。その許可を得られず、殉死できないことはむしろ恥ずべき事、そういう価値観が支配していたんですねぇ。
今の世の中ではその価値観はおそらく主流ではないはず。
だから、ここをテーマにして感想を書くのは非常に難しい。当時の武士たちが持っていた価値観の中に身を置いて考えなければならないから。


阿部一族の当主であった阿部弥一右衛門は非常に有能な人物でした。有能であるが故に重用もされましたが、殿様からは一種疎まれているような存在でもありました。弥一右衛門が言うことには耳を貸さず、弥一右衛門以外の人が同じ事を言ったら耳を貸す。弥一右衛門の言うことはほとんどの場合正しいことであったが故に逆に何かに付け反対したくなってしまう。
阿部弥一右衛門が言ったことを殿様が是認することはなかった。そしてそれはつまり何度殉死を申し出ても決して許可されなかったことを意味します。そこから悲劇が始まってしまいます。


阿部弥一右衛門は本来許されぬ殉死をし、そのことで君主との間にできた隙間がさらに広がってしまいます。そして、その隙間を修復することができなくなっていると悟って子孫が取った行動で、隙間は「対立」にまで成長してしまいもはや修復不可能になる。結局は一族は討ち取られてしまいます。


うーん。これでどう感想を書けばいいのやら……。歴史物は読まないし苦手だしなぁ。
とても些細な言葉の行き違いから生まれる悲劇、まっすぐに生きることが決して正しいというわけではないと言うとても残念な現実、そこにポイントを絞れば原稿用紙数枚分なら何とか埋められるかも知れません。
ただ、書いておいて言うのも何ですが、この小説のテーマは別の所にあるような気がしてならないんですよねぇ。一読しただけではそう感じるだけでそれを見いだすことができなかったです。背後にある偉い人の意志を感じつつ、それに従って行動することを是とする武士の魂かなぁ。でも、それだとしたら、やはり当時の価値観に身を委ねなければならないので感想文としての難易度は上がってしまうように思えます。


最後にもう一度。
俺は『阿部一族』で読書感想文を書くことはお薦めしません。ただ、みんながみんな俺と同じ感性を持っているはずもないので、もしかするとこの小説で読書感想文を書きやすいと感じる方の方が多いのかも知れませんね。