読書感想文 井伏鱒二著『朽助のいる谷間』 もうひとつの『山椒魚』を妄想する

山椒魚 (新潮文庫)

山椒魚 (新潮文庫)

この本は短編集です。せっかく買ったのでじっくり読んでみようと思っています。『朽助のいる谷間』は2作目。『山椒魚』のすぐ後に収録されています。
この話は、ダムに沈む家に住んでいる谷本朽助を描いています。朽助は主人公が子供の頃にお世話になった人物であり、ハワイに出稼ぎに行っていたという来歴を持っています。そのため、主人公が幼い頃、英語を教えていました。主人公の立身出世を心より願っている好人物です。
彼の元にハワイから異国人の顔を持つ少女がやってきました。しかし彼女はどうやら日本が気に入ったらしい。彼女は朽助の孫です。毛虫にビックリして全裸のまま風呂を飛び出してしまううっかりものらしいです(笑)。
そんな朽助が住む谷間の小屋は、堰止め湖に沈むことになりました。朽助としてはとうてい納得できるわけもなく……


といったお話です。


正直、少なくとも私にとっては読書感想文に向いているとは思えない作品ですね。なんともねぇ。あらすじだけ書いて終わりにしちゃうかなぁと思いますね。私なら。


さて、ここで表題の件。

この感想文を書いた後、ネットでどんな解釈が出回っているのか見てみたんですよ。そしたら、作者はどうやら『山椒魚』に納得がいっていないらしい(笑)。かわいそうだと。出られないのはかわいそうだと。
それを踏まえて『朽助のいる谷間』を読んだのである妄想にとりつかれました。


山椒魚』が岩屋に閉じこめられたのは『朽助のいる谷間』です。この谷間を池にするために人間による土木工事が始まります。その工事の過程で岩屋が破壊され、『山椒魚』は面でられるんですよ!
ね。うまくいくでしょう?(笑)。


でも、『山椒魚』が岩屋の外に出た時、そこの環境はすでに『山椒魚』が住める環境ではなくなっているという切ないエンディング。
どうですかねぇ。ちょっとブラックだし、いろいろ解釈できそうだし私好みなんですけれどね。
ああ、もしかしたらそうなのかもしれないな。創作者っていろいろ解釈できそうな物を作るだけで、どの解釈が正解かって言う答えは用意していないこともあるんじゃないかな?
そんなことをこの作品を読んで考えました。


おしまい。