それがブログの良いところでもあり限界だとも思っています。

IT Mediaのオルタナティブブログはわりと良く読んでいます。世代的な物なのか経歴的なものなのかはわからないですが、私に近い感覚をお持ちの執筆者が多いので安心して読めます。
ああ。この「安心して読める」って言葉、難しいですね。文脈からわかると思いますがこの場合は褒め言葉なのですが、もし仮にこの日記サイトを「安心して読める」と評価して下さる方がいたら大変です。緊急脳内会議開催ですよ。「おいおい、安心して読まれちゃってるぞ!」「なにか策はないのか!」って感じですよ。
おそらく、多くの読者がついているサイトには「安心して読める」サイトの方が多いと思うので、私みたいな感覚の人は少数派だと勝手に思っていますがどうなんでしょうか??
さて、まくらが長くなりましたが……
あれ、見失った。探す。

こちらの記事で書かれている感覚も私が持っている感覚に非常に近いです。ちょっと引用させていただきます。

私がここ最近感じている、個々のブログのエントリーであるとかのコンテンツそのものにフォーカスしていた時代から、そのコンテンツを生み出した人、あるいはどこそこでコメントした人、このテーマ−に強いであろう人、さらには、その人とつながりのある人というように、「人」にフォーカスした動きに変化している

あっ、もしこの記事に意見があったらリンクしてあるところで前後の文脈を必ず読んでからにして下さいね。そうすれば私の誤読かどうか判断つくからね。
それはともかく、結局そこなんですよ。そこ。
私もそう感じている。


私はそこが不満なんだな。


人にフォーカスしてしまうと旧来のメディアと大差ない存在になってしまうんじゃないかなと思っています。そしておそらくそうなるんでしょう。それがつまらんのですよ。
旧来のメディアと違う方向性が見いだせない限り、誰もが書くことができてしまうこういう場は、あくまでもリアルのサブセットとしてしかみなされなくなっちまうんじゃないか?そう思うんですね。それはしょうがないのかもしれない。そういう風にしかならないのかもしれない。でも、面白くない(笑)。


ここはおそらく今後何年にも渡り「誰が書いたかわからないけれど読みに来てみた」っていう読者が多数を占めるサイトになると思います。しかし、このサイトにもおそらくは、っていうか確実に数十人はtanabeebanatっていう記号を使っている人が書いているところだということを意識して読んでいらっしゃる方がいます。
さらに、矛盾するようですが、私自身も最近とある分野でtanabeebanatという記号を前面に押し出すような仕掛けも施しています。不思議なんですが、今後何年も「誰が書いたかわからないけれど読みに来てみた」っていう読者が多数を占めるサイトでいるためには、ある程度記号を認識させないと無理かなぁと思っちゃったんですよ。理由はよくわからないのですが……。直感。
そういえばハヤテ感想分野では前から全面に出してますね。始めた頃はまさかこんなになるとは思ってなかったからなぁ。失敗だったかも。


おそらくブログってのは今後「人」中心になるでしょう。その過程で今以上に寡占化が進むと思います。ものすごく大勢が読みに来るサイトと誰も読みに来ないサイトに2極分化するんじゃないかなぁと思います。ここみたいなコンテンツ主体のサイトは廃れていく運命にあるんじゃないかなと思っています。
だからこそ、それにあがなってみたい。そういう欲望を抑えることができませんね。だって、趣味なんだからさぁ。ゲームなんだから。難しい方が面白いじゃん。