読書感想文 志賀直哉著『佐々木の場合』

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

さて、どうしたものか……。一発目でこんな作品にぶち当たるとは思わなかった。もうね。そう。書くね。笑っちゃったよ。んで、面白かった。誰が書いたかとかそういうことは関係なく、名作とかそういうことを抜きにして純粋に面白かったんですよ。


あらすじを書くとそれだけで終わっちゃうので基本設定だけ書きます。
主人公は「佐々木」。「山田」っていう家で玄関番と書生をしています。書生の定義を正確にはしらなかったりするのですが、まぁ使用人の一人みたいな、その家で勉強できる代わりに家の仕事もこなすみたいなイメージなのかなぁ。士官学校に入るために勉強をしています。
その家にはお嬢さまがいます。そして、その子守(文中では「守っ児」と表記)をしている「富」という16才の女の子がいます。


佐々木はその富と関係を持っています。


ある時事件が起こり、お嬢さまが大けがをしてしまいます。子守の富は責任を問われ、大けがをした時、富と一緒にいた佐々木は国に逃げ帰ります。


それから何年も経った後、佐々木は富と再会しようとします。心に誓っていた結婚をしようとするのですが……。




というお話。


なに?この執事とメイドの恋物語みたいな話し……。類型の一つなんだろうけどさぁ。まぁお嬢さまが主人公が互いに嫌い合っていたりするんだけどさぁ。基本設定似てるよね。ハヤテのごとく!に……。




と、ここまではすんなり書けました。
ところが、この小説のポイントはおそらく今書いた流れの後のとある部分に有るとは思うのですが、それをひっくるめても感想書くのはとても難しいです。面白いんだけれど感想が書けない。難しい。それにおそらく中学生高校生を対象にこの作品が読書感想文の課題として出されるとも思えないですね。


読み終わって何とも不思議な感覚を持ちました。この作品で問われているのは「幸せとは何か?」、「エゴイズム(作中ではイゴイズムと表記されているがおそらくそれだと思われる)とは何か?」ということだろうなと読みとりました。作中でその答えは示されません。この作品を読んだ読者がそれぞれそれを考えることを狙っているのではないかと私は思いました。お嬢様とともに一生を過ごすのが幸せなのか、その幸せを貫くことはエゴイズムなのか、人を幸せにしようとしてその人の別の幸せを奪うことはエゴイズムなのか。そもそも、その行為自体自分が幸せになるための行為なのではないだろうか……。


やっぱり似ているんだよねぇ。私が妄想する完結後の『ハヤテのごとく!』と……。