読書感想文 竹宮ゆゆこ著『とらドラ・スピンオフ!』

だまされてた!表紙にだまされていた!!
平積みにされている本屋が多いので存在は知っていました。本編読み終わってからにしようと思っていたのですがコメントで先に読んだ方が味わい深いとあったので読んでみました。
にしても、だまされていた!。


表紙を見て、てっきり竜児母、泰子の話かと思っていましたよ(笑)。新キャラだったんだぁ。おそらく作者、イラストレーターの思いとは全く違うところで、まったく意味のないミスリードをされていました。


今日の感想は本編感想とこの作品を読んでふと思ったことの2本立てにします。

幸福の桜色トルネード

狩野さくらを一言で言うと「無自覚エロ」ってことになるんでしょうかね?周りの男どもを無駄にドキドキさせるキャラクターです。無自覚巨乳だし。
転んで怪我をしているみたいだ→人工呼吸!
っていう発想はなかった(笑)
普段は不幸な富家幸太もさくらに関して言えば単に振り回されるだけではなくきちんとした恋愛関係を築き上げることができたようです。大河とは違って振り回しているという自覚無しに振り回しているって感じなので見ていてほほえましいです。ああ、大河も自覚はないのかな?それが当然だと思っているのかな?いや、違うような気がするなぁ。面白がってじゃれ合っている感覚なんだろうと思う……
この話が念頭にあったんだとしたら、狩野すみれのネーミングは絶妙かもしれない。スミレとサクラ。ブルーとピンク。ひっそりと派手。キャラのイメージと違うところが絶妙なんだよなぁ。名前がキャラを補完している感じです。


幸太とさくらのラブストーリーもそれはそれで面白いなぁと思いましたが、その裏側で北村祐作と狩野すみれの物語も進んではいるという……。

不幸の黒猫男伝説

外伝的、というよりむしろ本編に直結している話のような気がします。最も印象に残ったのは、高須竜児でも逢坂大河でもなく、高須泰子なんですよねぇ。
泰子の大河への対応って竜児への対応と同じなんじゃないかな?大河はもはや「擬似」家族ではなく本当の家族であると認識しているんじゃないかな?そしてそれを大河も受け入れ、むしろその状況に居心地の良さを感じている、そういうことが描かれている短編何じゃないかなぁ。
病院から帰ってきて泰子が大河の部屋に踏み込むという今まで本編では描かれていなかった描写にも驚いたのですが、その後大河のことをしかっているのにもっと驚いたわけで……。それに対して「甘やかしすぎじゃねえの?」っていう竜児とは既に同じステージに立っているんだろうなぁ。
ただ、竜児と大河が男女として結ばれるのかってことにはまだわかりませんねぇ。2人は兄と妹みたいな関係であっていずれ辛い別れを迎えるのかも知れません。その時泰子は、どういう展開になるかによって両方なのか片方なのかはわかりませんが、息子を婿に、娘を嫁に出すような心境に襲われるのかなぁ。


「3人はいつまでも幸せに暮らしました」
という結末になるのか、別の結末が待っているのか……。私は後者を予想しています。

いわゆる「外伝」について

外伝というかとらドラ!シリーズではスピンオフと呼ばれているような作品について思うところがあるのでこの機会に書いてみます。ここからは他作品に言及します。


同じ架空世界で起こった主人公とは別の登場人物の物語がそれに当たるのだろうと思います。グインサーガのように主人公が外伝に押しやられるケースもありますがおそらくは例外でしょう。
一般論で言うと、そういう物語を描くことによって架空世界は読者にとってよりリアルに感じられる様になると思います。作中では描かれなかった登場人物が何を考えどういう行動を取っているのか、それが表現されることによって本来作者の脳が産み出した架空の世界があたかも現実に存在するかのように感じられるのではないでしょうか?
虚構の世界を現実っぽく見せかけるためにはいろいろな手法があると思います。たとえば『涼宮ハルヒの憂鬱』で使われた方法はおそらく最終兵器だろうと思います。
そこで考えてみます。そもそもなぜ虚構を現実っぽく見せる必要があるのだろうか?と。虚構は虚構でいいじゃん。現実とは違う世界であると一歩引いた目で作品に触れればそれでいいじゃんとね。
いや、私もそれでいいと思うんですよ。しかし、架空の世界の登場人物があたかも自分と同じ現実に生きているかのように感じることができたら、感情移入の質も違ってくるし、その作品から受け止めることができる感動も全く別のレベルになるのではないかと思うんですよね。


今は。




私がこんな事を考えるようになったのは、いうまでもなく『ハヤテのごとく!』を読んでからです。あの漫画が何で面白いのか理解するためにいろいろ考えてみてなるほどそう言うことなのかも知れないねと思い至りました。
その『ハヤテのごとく!』は特徴的な構造を持っています。『とらドラ!』シリーズでは外伝になるようなエピソードも本編で描かれています。だから、本編を読んだ時なにがなにやらさっぱりわからなかったんですよね。そして、実は今でも『ハヤテのごとく!』の本筋がどこにあるのかさっぱり見えていません。それに加えてコミックスやら最近ではWeb漫画やらで外伝的なエピソードを次々と発表しています。もう手が付けられません。


つまり、外伝的なエピソードを織り込むと、虚構の世界をリアルに見せることにできるというメリットはあるけれど、読者にとってわかりづらい作品になってしまい、その結果、その作品世界を理解できる人は非常に限られてしまい、商業的にはうまく行かないことが多いのでは無かろうか?そんな感想を持っているのですよ。


私が『ハヤテのごとく!』のすごいところだと思っているのは、複数の物語を同時に描きつつ、商業的にも成功する道筋をつけた、あるいはつけようとしているところです。この作品の成功によって、今までは別の物語として発表されていた複数の作品が一つにまとまって発表される機会が今後増えていくと思われます。そして、そのことによって読者が今までに味わっていた感動とはひと味もふた味も違う感動を味わえる機会が生まれるのではなかろうかと思っています。