読書感想文 竹宮ゆゆこ著『とらドラ10!』

とらドラ10! (電撃文庫)

とらドラ10! (電撃文庫)



恥ずかしながら、いい年して、いや、逆にこの年になったからなんだろうなぁ、泣きました。号泣はしなかったけれど泣いた。何度も泣いた。泣く場所がたくさんあった。そういうふうになっているとわかっていても泣いた。しょうがない。
原作を最初から追いかけている人たちにとっては自分自身の3年間を重ね合わせることができるのでもっと感動した人がいるかも知れない。私は今年になってからこの小説を読み始めたので、そういう人たちに比べればはるかに浅いと思う。
それでも泣いた。
登場人物たちが架空の世界で過ごした濃密な1年間、そこに至るまでの18年間、そしてこれから先、何十年もにわたるであろう物語に思いを馳せて泣いた。


強がりをいうなら、10巻の展開は予想の範囲内ではあるんですよ。おそらくはハッピーエンドなんだろうなぁとは思っていた。しかし、ここまで幸せという物を強く意識した物語だとは正直思っていなかったですね。ほとんどの問題を解決するとは思ってなかったですね。
作中で壊れてしまった本当の家族と疑似家族、さらには、作中以前の時間に壊れてしまった家族、それらが修復され、さらに、この1年が始まる前には想像もつかなかったような濃厚な友人関係までもが構築され、そして、新しい、擬似ではない、本当の家族が生まれる。本当にごく少数の例外を除きみんな幸せになっちゃった。




冒頭の櫛枝家の場面がとても印象的でした。そこにはおそらく高須竜児や逢坂大河が夢見ている家族が描かれている。作者はその場面を描くことによって櫛枝実乃梨を救おうとしたんだろうと思います。結果的にラブコメとしては敗者、というか自分から身をひいた実乃梨はそういう家族に囲まれて生きている、その場面を描いておく必要が有ったんだろうと思います。そして、それをそうと受け止める読者も多数いるのではないか。そんな気がします。


北村祐作は思い焦がれる人のために海を渡る決意をしています。彼はおそらく自分ののぞみをかなえるでしょう。彼もまた作中では救われている。


作中で本当の友達を作ることができた川嶋亜美。彼女は調整者としての役割を全うしました。異論はあると思いますが、亜美もまた竜児に心引かれていたという設定だと私は思いますね。単純な恋じゃないと思うんですよ。恋とは違う。もし仮に大河と実乃梨によって仮面を剥がされたとしても、祐作以外の男子が亜美の仮面しか見ようとしなかったら亜美は救われていないんだろうなぁと思います。竜児は仮面をかぶっているいないに関わらず亜美と普通に接した。そのことで亜美は救われた、自分自身をさらけ出すことに抵抗が無くなったんだろうと思います。むろん竜児だけではなく大河と実乃梨には感謝をしていると思うなぁ。体面を気にしているという仮面をかぶっている亜美が自分の体面より友人を優先したってのがね。もう、なんとも……。作中でみんなどんどん変わっていったけれど亜美が一番変わったんだろうなぁ。主人公とヒロイン以上にこの先の幸福をつかんだのは亜美なのかも知れないですね。


そして、竜児と大河。
ここまでべたべたな展開だとは思わなかった(笑)。順番違うんですよね。ちょっと違う。しかもそれを真冬の川でやるっていうのが常軌を逸しています。常軌を逸した2人にぴったりな名場面です。
とらドラ10!』で印象的だったのは、ここまでなんのかんの言って竜児が大河をサポートするという流れ、そもそもはそういう意図は無くても2人のキャラクターが持つ属性でそういう流れになってしまうことがほとんどだったのですが、今回は大河が竜児をサポートして、壊れてしまった竜児の家族を18年分修復するという大仕事をやってのけました。果たして、大河が一緒でなかったらそれがうまくいったのかどうか……。実家で泰子の両親と一緒にいる時の大河がものすごく可愛くてね……。大河はこの家族の一員になるんですよね。それがもう容易に想像できる、というかそういうふうに決まっていたかのような錯覚さえ覚える描写でした。
それに対して竜児は大河の家族関係修復には立ち会いませんでした。これはおそらく9巻からの流れですね。大河には自分の家族が元に戻る瞬間を見せた。お前にもできるはず。お前の方がもっとうまくできるはず。18年の空白があってもうまくいくんだから失敗なんてしないはず。竜児にはそういう思いがあったのではないでしょうか。そして、これは想像なのですが、作者は、大河の方が竜児より「強い」と考えているのではないかと思います。大河はもう充分竜児につくしてもらった。だから、大河はこれからも竜児と一緒にいるために、何も犠牲にせずそういうふうにするために、自分自身で決着を付けることができた、逆に竜児の力を借りず自分自身で決着を付けなければならなかった、そういう考え方が根底に流れているような気がします。


5人が集まって会議をしている場面がなぁ。なんというか、祭りの後みたいな感じでちょっとさびしかったですね。大人と戦う子供っていうありがちな図式ではあるのですが、子供たちだけでは解決できない問題であることがわかった上でそれでも竜児と大河を何とか幸せにさせたいというような一生懸命さが表現されていました。意見が割れたのがいいです。みんなそろって背中を押すみたいなべたな展開よりリアリティがありますね。


大人たちでは、恋ヶ窪ゆりがなぁ。こんなに重要なキャラだとは正直思っていなかったです。ゆりちゃん自身もこの1年間問題児が多い2−Cを受け持って成長したんですね。そしてもちろん生徒たちもみんな成長した。だれがって言うんじゃなくてみんななんですよね。



「……結局誰も私のこと、わかってなんかいないんじゃない」

とらドラ!』P.8(口絵)より引用


そう。誰もわかっていない。この物語が終わってもわかっていないことに変わりはない。でも、わかっていないってことが当たり前だって事がわかってわかっていないひとにわかってもらうためには自分自身が行動しなければいけないってこともわかった。だから竜児も大河も祐作も実乃梨も亜美も、わかってもらいたいことはわかってもらいたい人にちゃんと伝えなければならないって事を学んだ。そして、わかっていないなりにそれぞれ他の人を信じて、信じるというキーワードだとそこにゆりちゃんを含めないわけにはいきませんね、とにかく信じて待つことも覚えた。






3年生。人生の選択を迫られる季節。登場人物たちはなにを考えどういう行動をするのでしょうか。そして、そういう時期に実質新婚さんな2人の同級生と一緒の学校に通う人たちは何を思うのでしょうか(笑)?
大河は新しい家族の元でどういう生活を送るのでしょうか?竜児が作る飯に慣れてしまったから、ことあるごとに比較して対立してしまったりするのでしょうか?弟の世話はちゃんとできるんでしょうか?でも、その弟がいるから、竜児と大河の新生活もなんとなく容易に想像できるようになりました。
不思議ですよねぇ。竜児と大河にとってほぼ一緒に住んでいた2年生の1年間より、おそらくは別々に生活するであろう3年生の1年間の方が2人の心の距離は近いんですよねぇ。お互いにお互いの家を訪ね合うでしょう。朝も一緒に登校するのかも知れない。飯も一緒に食べるのかも知れない。そこには大河の両親や弟もいるのかもしれない。竜児の祖父母もいるのかもしれない。もちろん2人の家族以外の仲間も頻繁に行き来し、一緒にわいわい夕食を食べるのかも知れない。基本は仲良しだけれどぶつかり合うこともあるでしょう。実質夫婦の2人だってじゃれ合いの喧嘩ばかりではなく本当の喧嘩もするんじゃないでしょうか。確固たる絆ができたから、相手を傷つけることを恐れずに今まで以上にぶつかり合って、それによってさらに絆が深まっていくんじゃないでしょうか。それも2人に限りません。みんなそうです。






物語の終わりはさびしい物です。ハッピーエンドでもバッドエンドでもそういうもの。そういうものだとわかっていて、さびしくなるとわかっていて、それでも私は本を読んでしまう。読まずにいられない。そして、さびしくなればなるほど繰り返し読まずにはいられなくなる。
何度も読み返しました。そして、この物語は、これで終わりなんだな。若干の補足はあるだろうけれど、『とらドラ!』の登場人物たちが生きる世界での別の物語がこの先産み出されるかも知れないのだけれど、虎と竜の話はこれでおしまいなんだな。そう理解しようと努力をしています。でも、私が本当にそれを理解するのには、もうしばらく時間が必要なのかも知れません。




いつか、きっと想い出になる。