読書感想文 竹宮ゆゆこ著『とらドラ!』(全) 『とらドラ!』について

とらドラ〈3!〉 (電撃文庫)

とらドラ〈3!〉 (電撃文庫)




もし仮にこんなことが起こったとします。
俺と同世代かちょっと下くらい、いやずっとしたまで含めてもいいかな?で、いわゆるアキバ系文化には興味はないけれど本を読むのが好きな女性から、「オタクに人気があるラブコメって読んでみたいんだけれどそんなのある?何がいい?」と問われたとします。
俺が薦めるとしたらまず『ハヤテのごとく!』ですね。たぶんあれは女性でもいけるはず。っていうか女性の方がいけるはず。
そして、もう一つ、鉄板じゃないかと思っているのがこの『とらドラ!』です。


ここに感想文を書く時には、なるべく他の人が目を付けないような着眼点を見つけ出してやろうとか、他の人とは違うことをかいてやろうと意識しています。しかし、今回は違う。おそらくこの感覚は多くの人と共有できるはずだという確信を持って書いています。


とらドラ!』は本来女性向けのラブコメです。男性と女性どっちが優れているとか言うつもりはないしそんなことは現実にあり得ないと思っていますが差はあると俺は思っています。その差を感じるんですよ。
女性が書いた女性向けのラブコメです。


感覚的なことなので、最近読んでここに感想を書いている別の作品を例に挙げてみると、

  • 男性向け作品

ToLoveる
魔法先生ネギま!(そもそもラブコメかどうかは別として)
ゼロの使い魔
バカとテストと召喚獣

  • 両性向け作品

めぞん一刻
ハヤテのごとく!(そもそもラブコメかどうかは別として)
って感じなんですよね。最近じゃないのも混ざっていますが……。あくまでも主観です。こういうふうに思っている人が『とらドラ!』を女性向けと思ったっていう参考資料です。俺が読んで女性向けだと思えたラブコメって読んだことがないんですよね。初めて。耐性がなかった。
俺自身が男なので男性向けの作品と触れる機会が多い、というかリストアップしてみたら女性向けのラブコメって読んだことが皆無でした。もし自分の感覚が正しいのなら『とらドラ!』は俺が読んだはじめての女性向けラブコメです。


また、女性ならではだなぁと俺が思った表現は何カ所もありました。あまり細かいところに突っ込んでいくと木を見て森を見ずになっちゃうので1点だけ挙げると、3巻P66の

水着、腐らせた

っていう表現。こうやって文字になるとよくわかるし俺だってそういう表現使えそうに思えるんだけれど、おそらくは俺にはそんなことを書く発想は無いと思うんだな。大河がだらしないからそうなるんだけれど、ヒロインの水着を腐らせることは男にはできないように思えるんですよ。人それぞれでそう言う発想ができる人の方が多数派なのかも知れないですが、この作品を読んでいて感心した表現の一つです。


とらドラ!』を女性登場人物から読むと何度か楽しめるんですよね。当然大河目線はあるだろうし、実乃梨のポジションに立つとまた違う感想を持てる、でも一番面白いのはおそらく亜美の場所から俯瞰する読み方なのかなぁと思ったりしています。
亜美は見えちゃうんだよね。見えない実乃梨、見る必要を感じていないむしろ見たくないと思っている大河と見事な対比です。見えちゃうから悩んじゃう。亜美は後から登場したことに引け目を感じているけれど、実際には竜児、大河、祐作、実乃梨4人が不思議な関係を構築してから1ヶ月も経たずに登場しているんですよね。ところが、当事者ですら見えていないことが「見えちゃう」からその関係のほころびが見えちゃうし、見えた以上は、本当の自分をわかってもらえるように仕向けてくれて、結果的に本当の友達ができるための手助けをしてくれた4人だからこそ、不必要かと思っても修復したくなっちゃう。この物語から俺が読みとった亜美の感情のベースには「感謝」が流れていると思うんですよねぇ。
3人とも問題を抱え、その問題を周りに理解してもらえないともがき苦しんでいる。むろんフィクションの世界での話ですから現実とは違うのですが、それでも読者は感情移入しやすい条件だと思います。
それとは逆に主人公、高須竜児。その親友北村祐作。彼らがね。彼らがどうも理想的なキャラ過ぎる。おそらくそれが耐えられない男子読者はいるはずなんですよ。男性向けの作品に出てくる理想的な女の子が耐えられない女子がいるのと同じなんじゃないかなと俺は思っています。


大河目線で読むと、もう強烈なラブストーリーとしか言いようがない。生活のすべてをサポートしてくれて、自分の恋を真剣に応援してくれて、かつ自分の気持ちの方向性が変わったら結局はそれを受け止めてくれる。大河に取って竜児は生涯を賭けるに値する相手だろうなぁと容易に想像できます。




さて、『とらドラ!』という物語にはとても印象的な一文があります。巻頭言ではないです。でも1巻です。おそらく、俺が思うに、その言葉が書かれた時にこの物語は始まっていて、そして終わりも迎えていたんじゃないかなと思うんです。極論を言うと、この物語を要約するとその一文になってしまうんじゃないか、それほどまでに印象深い文です。

それらのすべては、うっかり二度寝してしまった、逢坂大河のためのもの。

とらドラ!』P.104より引用


この時、すでに竜児は落ちていたんだろうと思う。落ちているって事を認めたくない、そういう思いはあったと思うんだ。でも、実際問題落ちてた。俺はそう思う。
逆に大河が落ちたタイミングがわからないんだ。1巻のラストまでのどこかだと思うんだ。ラストかなぁとも思うけれどその前かも知れないんだなぁ。いずれにしろ竜児が落ちるタイミングと大差ないと思うんですよね。おそらく、そういう感覚が男女間では微妙に違うのではないかと思うのですよ。もしかすると今挙げた1巻の言葉は、作者はそれほどの意味を込めていないのかも知れないなぁとも思えるんですよね。
男女差とは関係ないのですが1巻にはもう一つ重要なラストシーンへの伏線がありました。『とらドラ!』唯一の不思議設定、テレポート能力です。泰子は自分が助かるために1度使い、自分が逃げるためにもう一度使った。そして残りの1回を竜児に与えた。その竜児は、自分のためにではなく、大河を助けるためにその能力を使った。そして、これが大事なのですが、竜児が大河と逃げる時に、その能力を残さなかったことを後悔している描写が私が読んだ限り無かったんですよね。
大河を助けるために力を使ったことが負の連鎖を断ち切る条件の一つだったのだろうなぁと今になると思えます。


続いて、10巻で言うと

「嫁にこい」

とらドラ10!』P.54より引用


ですね。告白より先にプロポーズがある。個人差はあるでしょうけれど、うーん、今ならともかく高校生の時にはその発想はなかったな、俺には。竜児と大河のような絆で結ばれていればそう言う物だと理解しました。




それを踏まえて『とらドラ!』という作品のすごいところを言うとですね、本来女性向け作品であるにも関わらず、登場人物たちへの巧みな属性付けや、他作品の効果的な引用、パロディなどで、男性からの支持が得たところにあるのでは、と俺は思っています。だからね。この作品はまだまだこれからだと思っているんですよ。ようやく話が全部できあがって発表された。本当に売れるのはこれからなんじゃなかろうか、とね。


そしてもう一つ、巧みな仕掛けは施されているとは言え、この作品を理解しこの作品で感動する若い男子読者がたくさんいるっってことはすごいことなのではないかとも思えるのですよ。
もし仮に俺が漫画やライトノベルを読んでいない状態で『とらドラ!』を読んだらこの作品で感動することができたのかなぁと思うんですね。やっぱり感動したのかも知れない。でも、もしかすると「自分には理解できない作品」とあきらめちゃったかも知れないのですよ。やっぱり本質的に、本能的に理解できない部分がどうしてもあるんですよ。残念ながら。
余談ですが、そういう可能性があるから面白くないと自分が感じた作品の感想を書くと負けたような気がするんですよね。読むタイミングによっては俺は『とらドラ!』という小説を理解する能力に欠けていたかもしれないんですよ。


とらドラ!』本編のテーマの一つに合わせた書き方をしてみます。
大人たちはわかっていない。みんなわかっていないわけじゃないけれどわかっていない人がたくさんいる。おそらく「ライトノベル」などという物は読んだこともない大人が「そんなものを読んでもなんにもならない」などと発言をしているんでしょう。そう言う人たちは漫画に対しても同じ事をいうはずです。残念ですがそういうものです。
だから、わからせなければならない。伝えなければならない。俺はそう思っているんですよね。
幸い俺自身が大人と呼ばれる世代です。精神年齢はおこちゃまかもしれないですけれど見た目はおっさんだ。だからね。よけいになんとかしたいんですよ。この世界を知らずに単に批判したいから批判をする人、さらには、批判すらしない全く無関心な人に伝えたい。そんな捨てたもんじゃないよってことを伝えたい。
自分ができることなんて限られています。それでもなにかやった方がやらないよりはまし。やってダメなら自分の力が無かっただけ。能力が足りなかっただけ。そんなことを思いながらこうやって感想文を書いています。




超弩級ブコメ。その看板に偽りはなかった。初期設定はひねってありましたが主人公とヒロインの王道ラブコメでした。恐るべき破壊力。しばらくの間引きずってしまいそうです。