読書感想文 竹宮ゆゆこ著『とらドラ!』(全) 逢坂大河が手乗りタイガーである理由

とらドラ!1 (電撃文庫)

とらドラ!1 (電撃文庫)



この作品を読むきっかけになった一つに「手乗りタイガー」という謎のフレーズがありました。いったいなんなんだ?と思って読み始めてあまりに普通の話で逆に拍子抜けしたんですよね。なんか珍妙な設定を想像していたら単に小さいけれど凶暴で強い女の子ってだけでした。
しかし、この物語を最後まで読むとわかる。逢坂大河は「手乗りタイガー」である必要があったなぁと。
手乗りタイガー」というあだ名でなくてもいいのだけれど、小さくなくてもいいんだけれど、大河が凶暴で強い女の子でないと作者はこの物語が成立しないと作者は考えていたのではないかと思えるのですよ。


その理由はただ一つです。
上の記事で書いたように、竜児と大河はお互い1巻の時点で惹かれ合っていたんですよね。自分自身では認めていなかったけれど描写を読む限りそうとしか読みとれない。
そんな2人の男女が、一つ屋根の下2人っきりの夜を、何度も何度も過ごしていたんですよ。泊まることは無いようにしていたとはいえ夜遅くまで一緒の時間に身を任せていたんですよ。
その生活が始まった当初の描写をちょっと長めに引用します。

もしも逢坂の目が覚めていたら、今頃竜児は生きてはいまい。眠っていてさえこれなのだから。
やはり逢坂は手乗りタイガーだ。凶暴なDNAを全身の血に注がれて、誰彼構わず噛み付いてみせる攻性の衝動に生きる女だ。


馴れ合いながらも高須竜児は、だいたいそんなふうにして、折に触れてはきちんと再確認をしていたのだけれど。

とらドラ!』P.168より引用




竜児と大河の擬似家族的な奇妙な共同生活は大河が手乗りタイガーでなければ成り立たないんですよ。もし大河が普通の、あるいは普通よりか弱い女の子だったら、おそらくはすでに竜児と大河はできあがっちゃっている。もし竜児と大河がそうならないように意識して距離を取った関係だったら、そもそも2人の間にはこれほど強い絆はできあがらない。『とらドラ!』で描かれている架空の世界ではそういう流れでないとリアリティがないんですよね。


いや、別にいいじゃん、竜児と大河は結局一緒になるんだからタイミングが違うだけじゃないか、そう思う人もいるかもしれません。しかし、『とらドラ10!』を読み返すとある可能性に気づきます。
この物語においては、竜児と大河が愛を交わすとバッドエンドへのフラグが立つ仕掛けになっていると思われるんですよね。少なくとも、泰子とその両親が和解をするまでは2人は関係を持ってはいけなかった。そうなってしまうとその瞬間に2人はかつて泰子がたどった道をなぞることになってしまうから……。




とらドラ!』という物語にとって逢坂大河手乗りタイガーであることには必然性があった。それは高須竜児が暴走をしないための抑止力であった。


そう考えています。




泰子と両親が和解をし、竜児と大河が一つの部屋で語り合い、竜児が必死の思いで国境線を築き上げた部屋で、2人はどうなったのか……。作者は非常に丁寧、かつ言葉を選んでその場面を描いています。
直接の描写を見る限り、2人はその1線を踏み越えることはなかったように思えます。しかし、状況証拠を見ると正直微妙で、おそらくは作者もどちらとも判断がつかないように見えることを意図した書き方をしているのだろうな思われます。
竜児はなぜ大河を一人で母親の元に行かせたのか?
そこなんですよ。
最初に読んだ時には「たしかな約束ができたから信頼して大河にまかせたし、再会を信じて離れることができたのかな」と思ったんですよね。でも、読み返してみると、逆にもし2人が確かめ合ってしまったら、もう一時的な別れですら耐えられなくなってしまっていたんじゃないか、そうも思えます。


ここは素直に文章を読みとって、2人は泰子が両親と18年ぶりに語らっている場所の上で布団をはさんで抱擁し熱いキスを交わし将来を誓ったという解釈を取るのが妥当なのかなぁと思います。




手乗りタイガー」という人を小馬鹿にしたような珍妙なキャッチフレーズ。しかし、それこそが『とらドラ!』という物語の鍵を握る言葉でした。