我々のことは誰も守ってくれない。そのことを肝に銘じよう。

少なくともこの件の大枠については私はひろゆき氏と同じ意見を持っています。でも、細部では違う考えを持っているのでちょっと書きます。
もういい加減この話題も沈静化しているんだろうから……。


企業で不祥事を起こした場合は、よほどのことがない限り個人名が報道されることはありませんね。それはそうだ。企業の傘に守られているんだから。しかし、その企業が企業活動を続けていくために必要と判断すればきっと実名を出すんだろうなと思います。新聞社だろうが大企業だろうが中小企業だろうが関係なくね。


特に新聞社を含むマスメディアの場合、個人を隠すということにはある意味が潜んでいます。
それは、個人を隠すからこそ書ける記事があると言うこと。つまり匿名の記事。その記事についての責任は新聞社が負う物であり、それを書いた1個人が負う物ではないという考え方です。
逆に、その記事が何らかの功績を残したとしても、それは企業の功績です。むろんその記事を書いた人が、その企業内で優位な立場に立つということはあるでしょうが、対外的にはそういうことになります。


翻って考えてみると、われわれはどうなのでしょうか?
ほとんどの人は2ちゃんねるに書いたり、ここみたいに固定のハンドルネームでつらつら書いたりしているときに、何らかのバックボーンがあるわけではありません。書きたいことを好きなように書いているってことでしょう。
書いたことについての責任は個人が負っています。


どちらが良い悪いの話ではなくそもそもの背景が違うんですよね。


私はね、個人的に「ジャーナリズム」は本来バックボーンがある方が成立しやすいと思っているんですよね。むろんフリーで活躍しているジャーナリストだっていらっしゃるし、もはや死語かもしれませんが小説なんかに出てくる「トップ屋」なんていう職業だってあったらしい。けれど、彼、彼女らの活躍が実際に世の中に知られる時には必ずバックボーンがついていたんです。バックボーンが無ければ、バックボーンが守ってくれなければ成立しづらいと私は思うのですよ。


繰り返しますが、ネットで情報発信する場合はそれとは違うケースがあるんですよね。個人が個人の責任のもとに情報を発信することができる。ただ、その場合バックボーンはなく、その個人が全責任を負わなければならなくなります。


実名だろうが匿名だろうが関係なくです。


そういうリスクを負ってまで今までマスメディアが担ってきた「ジャーナリズム」の道を究めようとするのは回り道なのではなかろうか?と思うんですよ。それが成就する可能性は無いとは言えないけれど、おそらく既存のパスを使った方が可能性が高いのではないかと思うのですよ。




何回か書きましたが、私は、「誰が」言ったのかではなく、「何を」言ったかが重視される世界が実現しないかと夢想しています。その世界では匿名とか実名とかの議論には全く意味が無い。誰が言ったかなんてことは関係ないので……。


その持論には反することを今日書いてみましたが、現実的に考えるとやむを得ないのかなぁと思っています。
だから、私は個人がネットで情報発信するのなら、マスメディアのまねごとをするのではなく、効率が悪くてマスメディアが手を出せないようなことをやった方が面白いと思っているんですよねぇ。




いずれにしろ、個人でネットを使って情報発信をしている以上、我々のことは誰も守ってくれません。なかには2ちゃんねるが守ってくれるとかはてなが守ってくれるとか思っちゃっている人もいるかもしれませんがそれはたぶん妄想。責任は情報を発信した個人が負うことになると私は考えています。