構造主義とポストモダンは対立する概念ではないのではなかろうかという仮説

タグは付けたけれど、決してハヤテに限定した話ではないことを最初にお伝えしておきますね。


私は文学論に明るいわけではありません。未だに構造主義ポストモダンも理解できていません。ネタとして使われていて「おもしれーなー」と思うレベルです。


わかってないのにこういうことを思うのはちょいと行き過ぎなのかも知れませんが、結局のところ構造主義だろうがポストモダンだろうが行き着くところがどこなのかさっぱりわからないんですよね。どちらが正しいとか間違えているとかそういう話ではなく、結局のところそれで何がしたいのかがわからない。単純な言葉の遊びをしたい訳じゃ無いと思うんですよ。少なくともこういう考え方を呈示した人はそう思っていたはずです。


ハヤテのごとく!』を読んで私が感じたこと、考えたこと、理解したことをまとめると、


創作者には、より現実に近いフィクションを作りたいという野望があり、それを実現する方法を模索しているのではなかろうか?


という仮説に至りました。
その方法はなんでもいい。その裏付けとなる理論はなんでもいい。結果的に現実っぽい話が描ければそれでいいってことなんじゃないかなぁ。
ハヤテのごとく!』という漫画がそれを実現させようとして取った方法が少なくとも私にとっては今まで目にしたことがない方法であり、かつ、その方法の応用範囲が広く、この先何十年か先に主流になり、それが数百年持続する可能性を秘めているのではないかというのが私の考えです。
面白い架空の話を作れるのなら、読めるのなら構造主義ポストモダンなのかとかはどうでもいい。推理小説だろうがSFだろうが純文学だろうがライトノベルだろうが同人誌だろうが漫画だろうがアニメだろうがなんでもいい。私はそういう考え方を持っている読者です。


以下、ハヤテ限定の話です。






冒頭の記事でリンクされている記事に言及するのでこちらでもリンクします。

私は一つの作品にいろいろなとらえ方があるのは当然と思っていますし、逆にみんながみんな同じとらえ方をするのは気持ち悪く、その作品自体うすっぺらいのではないかという疑念を持ってしまうたちです。だから、上記2つの記事で書かれていることはそれぞれ対立するものではないと思いますし、『ハヤテのごとく!』という作品の多面性を示す材料になるのではなかろうかと思っています。


私は、『ハヤテのごとく!』が目指しているところは、自分の脳内にある架空現実を表現するというどの作品でも目指している普遍的なところなのでは無かろうかと思っています。ただ、その方法があまりにもわかりづらい。同期非同期で複数の物語が同時に動いている。その中には、たとえば私が気に入るようなストーリーもあるし、気に入らなかったり、そもそも気づいていないようなストーリーもあるのです。それが私の言うところの「スーパーハイブリッド構造」っていうやつなんですね。
この漫画には柱となるストーリーは存在しているはずですが、未だそれがはっきりとは見えてきません。ハヤテが主人公であることは何となくわかりますが、ヒロインがナギとマリアさんであるということは作者からの説明がなければわからないでしょうね。今ちょうどアニメでやっているヒナハムラブコメの部分なんか、私にとってはものすごく面白く感じるところなのですが、『ハヤテのごとく!』全体から見るとおそらく物語を構成するショートストーリーの1つに過ぎないのです。作者が語らない限り、いや作者が語ったとしても嘘をつくことがあるので頭から信用することはできませんけど、いずれにしろこの漫画の柱となるストーリーは私にはまだ見えていないのですよ。




とにかく、みんながみんな同じ感想を持つなんて気持ち悪いです。気に入る人もいれば気に入らない人もいる。同じ作品を読んでも人によって解釈が違うのも当然だし、同じ人でも読むタイミングによって解釈が変わるってのもよくあること。ファンの間で意見が食い違うのも当然のこと。みんながみんな同じ方向を向いているんだったらそもそも感想や思ったことを公開の場に書く必要性が見あたりませんし。
ここ何年かで何十年も生き残っている作品を読んでより強くそう思うようになりました。
単純な物も面白いけれど、長生きするっていう観点から言うと、複雑で多用な解釈ができる作品の方が上だと思っています。
ハヤテのごとく!』にはそうなる素質が現状でも十分あると思うのですが皆様はどのように感じるでしょうか?