栗本薫(中島梓)は境界を突破する

栗本薫が書いた本を読んでしまったがために、人生の道筋が変わってしまった人間が少なくともここに一人いる。




前に書いたことの繰り返しになる。また、この記事に書くことのソースはすべて脳内である。思いこみや偽記憶が混在している可能性があることをまずお断りしておく。この記事にはなんの裏付けもない。




僕自身は栗本薫の書いた本自体には大きな影響は受けていない。最初に読んだ『僕らの時代』、今も読み続けている『グイン・サーガ』以外の本の内容はほとんど覚えていないような読者だ。
でも、それでも、僕にとって栗本薫は特別な人である。
それは、彼女が僕にとって、見知らぬ世界への扉を開けてくれた人だからだ。




栗本薫の小説を初めて読んだのは高校生の時だった。当時の僕は推理小説ばかりを読んでいた。ごく稀に、たとえば学校で読書感想文の課題が出た時などに、本当に仕方なくいやいや推理小説以外の小説を読むことはあったが、自分の意志で読むことはなかった。


むろん子供であり、また家も貧しかったので本を買って読むことなんかままならない。主に図書館で借りて読んでいた。時間が経つと自然と気に入った作者の作品をあらかた読み終えてしまうことになる。そこで思い付いたのが、当時権威があった江戸川乱歩賞受賞作を片っ端から読んでいくという作業だった。


その中の一冊に栗本薫の『ぼくらの時代』があった。




僕は、この小説が気に入った。どのくらい気に入ったかというと、当時読んだ他の本の内容はさっぱり覚えていないのに、『ぼくらの時代』のメインとなる仕掛けについては鮮明に覚えているくらい気に入ったのだ。
そして、それと同時に、作家読みをしていた僕は、栗本薫の他の著作に手を伸ばしてしまったのだ。




すべてはそれが始まりだった。


栗本薫という作家は饒舌である。思えば僕が初めてであった後書きで自分を語る作家かもしれない。当時はインターネットなどと言う便利な物はなかったのですべて紙の本から作者に関する情報を得ていた。作者による言葉はその大きな助けになった。そして、当時まだ若く純粋だった僕はそれをそのまま受け入れた。中島梓という別のペンネームを持っていること。評論を書いていること。SF小説も書いていること。そのほかいろいろなジャンルの作品を書いていること。麻雀に強くてそれで生活できること……。そしてその後テレビでクイズの回答者をしていること、今で言うボーイズラブの走りを流行らせたことなども知った。
当時の僕が間接的に知った栗本薫の印象は「恐ろしく頭がよくて才能にあふれている人」だった。


そして、それが僕とSF小説との出会いだった。栗本薫という作家の作品を読むと決めた時に、自然とSF小説も読むことになったのだ。そして、おそらくは知らなければ幸せだったことを知ってしまった。
もしかすると、栗本薫というジャンルを超えて多くの本を世に出した才能さえなければ、その後の僕に大きな影響を与えた新井素子の小説にも、筒井康隆の小説にも、高橋留美子の漫画にも出会うことなく学生時代を終えて社会に出ていたかも知れないのだ。




思えば、ジャンルなどと言う垣根は軽々と越えることができることを初めて教えてくれたのも栗本薫だったのかも知れない。彼女がジャンルの境界線を越えていたから、僕も、決して越えてはいけない境界線を越えてしまったのだ。


高校生の時栗本薫作品を読まなければ、栗本薫江戸川乱歩賞を取っていなければ、今日これから書くはずの漫画の感想も書くことはなかったのかもしれない。






ここからは、読む人によっては不快に感じるかも知れないことを書きます。むろん書いたことに対する責任は筆者が負いますが、読んだ人の不快感を軽減する責任は負いません。






























ものすごいタイミングとしか言いようがない。『グイン・サーガ』がついにアニメ化されて、新装版も出て、これから売り出すぞと言うところでの訃報……。


おそらくね、あまりの長さに読むことを躊躇していた人もいると思うんですよ。でも、これで読者にとってのゴールも見えた。栗本薫が書いた『グイン・サーガ』はあるところで終わってしまう。それを読み始めるきっかけにする人もいるかもしれない。




作者自身も予感はあったんだろうと思います。今回の手術について後書きで読む前に違和感を持ったんですよねぇ。『グイン・サーガ』は最近先を急いでいるような気がするなと。今日の訃報を聞いてもあの後書きを読んだ時のようなショックはありませんでした。来るべき物が来たなと受け止めることができました。


さて、『グイン・サーガ』は未完の大作になるのでしょうか?栗本薫が書いた『グイン・サーガ』は間違いなく未完の大作になります。でも、もし、作者にその意志があったら『グイン・サーガ』という物語は続く可能性があると思っています。
決して長くはなかったですが準備する時間はあったんです。作者にその意志があり、また受け継ぐ意志がある別の小説家がいれば引き続き『グイン・サーガ』を読み続けることができる可能性はあると思っています。
むろん、それを読者が受け入れるかどうかは別の問題です。『グイン・サーガ』が読みたいのではなく、栗本薫の『グイン・サーガ』が読みたいという読者だって少なからず存在するでしょうから。






栗本薫(中島梓)は境界を突破する。というよりも彼女にはそもそも境界なんか無かったのかも知れません。自分が表現したい物に境界なんか無い、そもそも境界などという物を意識したことも無かったのかも知れません。境界なんか一部読者の妄想なのかも知れない。




そして、ついに、生と死の境界も越えてしまった。