ハヤテのごとく!はキャラクターと物語のパワーバランスを変える



表題の件「変えた」ではなく「変える」のです。まだ変わっていない。変わっていないから最近ハヤテ感想系のサイトで盛り上がっているような話になります。おそらくこの漫画を読み続けていると、読者自身の意識が本人もそうとは気づかないままに「変わる」のではなかろうか?と想像しています。そして、その「変わった」方に慣れてしまうのでは無かろうかとも予想しています。




結局俺が『ハヤテのごとく!』について書いていることは

以来繰り言を繰り返しているだけのような気がしているんですよねぇ。その時は自分自身半信半疑で「これで全部説明がつく」と思ったんですが、あれから2年以上経っても未だ「スーパーハイブリッド」で全部説明がつきますので……。




今日はちょいとヒナギクさんと別作品にいる同じポジションのヒロインについて考えてみましょう。
俺はサンデーしか読んでないし、サンデーでも読んでいない漫画もあるくらいなので他にもたくさん例はあると思うのですが、ぱっと思い付くのは『神のみぞ知るセカイ』の「ハクア」ですね。
突然出てきて事実上のメインを張ってキャラクターデザイン面もあっておそらくは人気が出ているという意味で共通点は多いと思います。サンデーを読んでいて「ヒナギクポジションだな」と思いましたからねぇ。


でも、ヒナギクとハクアの間には決定的な違いがあります。


ハクアはベースとなる『神のみぞ知るセカイ』の物語の根幹に関わる登場人物であるのに対して、ヒナギクは『ハヤテのごとく!』という物語の中ではあくまでも異質な登場人物であるというところです。




蛇足ではありますが細かく書いてみると、ハクアは駆け魂隊の地区長ですよね。んで、『神のみぞ知るセカイ』の初期の目的は、駆け魂を捕まえまくって桂馬が契約を終わらせることですよね。ハクアは駆け魂についてエルシィよりもいろいろなことを知っています。だからハクアは『神のみぞ知るセカイ』という物語に自然に溶け込んでいます。対するヒナギクはどうでしょうか?『ハヤテのごとく!』の場合、主人公に物語の終了に直結するような目的が与えられていないと言うのもありますが、ヒナギクは『ハヤテのごとく!』の初期設定、借金だったり遺産だったりって言う話には直接は絡んでこないんですよね。先日もビーチバレーをしたあと遺産の話をハヤテからされてちんぷんかんぷんだったのが描写されてましたよね。ただ、ヒナギクの場合は自分自身がハヤテと同じような経験をしているという設定がある。『ハヤテのごとく!』1巻から3巻までに呈示された初期設定とヒナギクが絡む部分って過去の経験だけなんですよ。余談ですが、もう一人のサブヒロイン西沢さんはもっとひどくて『ハヤテのごとく!』の初期設定には今のところ何の関わりもありません。ヒナギクさんとは自分たちの知らない過去のつながりがあることが示唆されていますがそれだけです。


だから議論になりやすいと思うんですよね。ヒナギクは、そこに西沢さんも含めた方がいいかな?彼女たちは『ハヤテのごとく!』という漫画の初期設定を愛している人たちにとっては異分子なんですよ。なのに人気がある。だから、ヒナギクの存在によって、その人気に惑わされて『ハヤテのごとく!』という物語が別の方向に進んでしまうのでは無かろうかと本能的に危惧しているのかな?と私は想像しています。


その危惧は俺自身も抱いていました。いったい作者はなにをしたいのだろうか?どうするつもりなのだろうか?そう思っていた時期もありました。しかし、その反面、畑健二郎さんが自分が決めた「トゥルーエンド」にたどり着けないような方向に走るとは思えなかったんですよね。もしそうなったら、潔く物語を終わらせるくらいの覚悟があるのでは無かろうかと感じてもいました。どこからそれを感じたのかというとヒナギクが出てくる前です。何度も引き合いに出している「使用人(かまい)たちの夜」。あの話の裏には相当な覚悟が潜んでいると俺は読みとりました。


作者が書きたいであろうハヤテ、ナギ、マリアさんを中心としたエンディングに至る物語と、人気があるヒナギクの物語とを読者に違和感を持たせないように融合させることができるのか?というよりも融合するという予感があってその根拠も目の前に呈示されているような気がするにもかかわらずそれがなんなのかわからないもどかしさをずっと感じていたんですよね。
やっと見つかったその答えが「スーパーハイブリッドコミック」という考え方でした。


ハヤテのごとく!』はむろんハヤテの物語が中心となりますが、作中でメインヒロインであるナギの物語もマリアさんの物語も描かれます。そしてサブキャラクターであるはずのワタルの物語も伊澄の物語も咲夜の物語も雪路の物語もその他みんなの物語も描かれます。むろん、西沢さんの物語やヒナギクさんの物語も描かれます。
それぞれの物語は一人一つというわけではありません。キャラクターたちは『ハヤテのごとく!』という物語の時系列で生きています。一つの物語には終わってもそれは次の物語の始まりに過ぎないと言ったこともこの世界では現実世界同様普通に起こります。117話以降の西沢さんや99話以降のヒナギクのように……。




一つの物語に複数の物語を並列直列に混ぜ込んで描くというこの方法を取ると、ある物語が気に入らない人からはそっぽを向かれるという危険性をはらんでいることは否定できません。でも、それ以上のメリットがあると俺は考えています。
いろいろなタイプの物語を混ぜることによって、そのうちのどれかが気に入った人がこの物語全体を読むようになる可能性があると俺は思ったんですよ。『ハヤテのごとく!』が商業的に大成功すると確信した理由はそこにあります。
ひっかかるのはどこでもいいです。好きになるキャラクターも誰でも良いんです。いろいろな設定や物語が脈絡無く散りばめられているが故に、そのどこかに引っかかって感情移入してしまう可能性が他の作品より高いと思うんです。明確に柱となっている物語が現時点ではまだ存在しないから、作者の言葉を読まない限り自分がひっかかったキャラクターや物語が主軸になるのではないかと思うことができるんです。そして、気づくとこの漫画で描かれている世界に自分が身を置いているような錯覚に陥る可能性が他の作品より高いと思うんです。
そういう点では畑健二郎さんが『ハヤテのごとく!』について語りすぎたのは失敗だったかなぁとも思うんですよね。明確な終着点があることを物語序盤にはっきりと書いてしまった。


でも、それは些細な問題なのかも知れません。


おそらくはどの登場人物にも、少なくとも人気がある登場人物については、無防備にうっかり読むと、彼、あるいは彼女が作中で過ごした日々を思い返し涙ぐんでしまうようなエンディングが既に準備されているかこれから準備されるかするでしょう。
その時、その読者にとっての『ハヤテのごとく!』は終わってしまうのでしょうか?俺は5分5分だと思っています。




今、話題の中心になっているのはヒナギクです。次に話題の中心になるのはアテネなのかなぁと予想しています。アテネヒナギクとは違ってまさにハクアタイプなんですねぇ。『ハヤテのごとく!』の基本設定に関わっている。だからこそ、今以上に感想を書く人たちの間で激しい議論が繰り返されるような気がして……。ぶっちゃけちょっと憂鬱な気分になったりします。




ハヤテのごとく!』という漫画でのキャラクターと物語のパワーバランスは独特な物があります。一人のキャラクターが複数の物語の登場人物となっていて、彼、彼女自身が主役の物語もあれば、他の人の物語に全く影響を与えないキャラクターとして登場することもあります。
強烈なキャラクターには物語自体を変えてしまうという弊害が起こりがちだと考えていますが『ハヤテのごとく!』の場合は、もともと複数の物語が同時並行に進んでいるので、むしろ物語としての幅が出るというメリットが見えやすくなっているように思えます。


ハヤテのごとく!』が完結した暁には読者は気づくのかも知れません。一つの物語に対していろいろな見方ができること。繰り返し読むことによって全く別の顔を見せる物語があること。登場人物それぞれが別の物語を持っていると言うこと。そして、広く一般に読まれるほとんどの物語は、そのうちごく一部を描いているにすぎないということを……。キャラクターと物語は相反する存在でもなければどちらかがどちらかを内包する存在でもない。キャラクターと物語は一体であるという考え方を持つに至るのではかなろうかと……。
少なくとも俺の場合、『ハヤテのごとく!』のような世界を知ってしまって本の読み方が変わりました。そして、未だ『ハヤテのごとく!』同様の感覚を抱かせる物語には出会っていません。




最後に、ここに書いても伝わらないでしょうが畑健二郎さんにはこれだけは言いたい。感想サイトをやっているのって極めて少数なんですよ。感想サイトを読んでいる人だって少数。ここの場合で一番多い時期でも読者数は数百です。もっと読者が多いところだって万までは行ってないと思うんですよ。行っているのかな?でも絶対十万までは行ってないと思うんだよなぁ。十万だとしてもコミックスの売れ行きと比べると過半数に至るような数字じゃないんですね。
声の大きな少数意見だけに惑わされず、ファンレターや本屋での実際の売れ行きや購入している人の属性を分析して読者の興味を見極めれば打ち切りを回避しつつも自分の描きたいことを描けば自ずと結果はついてくるのではないでしょうかね。
と声の小さい少数意見を書いてみました(笑)。