インターネットが起こした「知の革命」はもう止められない。



ひょんなことから公開されているところに毒にも薬にもならない読書感想文を書くようになって改めて気づいたことがあります。
同じ本でも人によって全然印象が違うんだなぁと。さらには同じ本を同じ人が読んだとしても、その読んだ時の状況によって全く違う感想を持つことができるんだなぁと。
そして、それはたぶん本に対してって限定できるはなしではないでしょう。同じ事実を見ても人によって全然違う受け止め方をすることだって決して珍しくは無いと思うんですよね。


読書感想文というフィールドに立ってみて初めてわかりました。どうも私は他の人と違うことを感じることが多いようです。だから、決して多数派にはなれない。さらに少数派に甘んじることを心地よく思っている面があります。そして、そのことは、読書感想文という狭いフィールドでは自分に有利に働いているように感じています。


私は梅田氏とは同じ事実に対してずいぶん違う受け止め方をしていると思います。そしておそらく私の感覚の方が少数派なのだろうなと思います。それでも、いや、だからこそ、今日はそのことを少し書いてみたいと思います。




私は思うんですよ。インターネットは「知の革命」を起こしたなとね。どういうことかというと、今までなら極めて少数の、触れることを許された人にしか行き渡らなかったような情報が広く一般に出回るようになった。それが革命なのでは無かろうかと思うんですよね。*1
象徴的な言葉があります。


ネットカフェ難民


難民という言葉の響きから想像できるのは、もともと属していた社会から捨てられた人々という印象ですが*2、その人たちがどこにいるのかというとネットカフェにいるって事でしょう?ってことはネットには接続できるんですよね。その人たちが望めばネット上にある膨大な情報にアクセスすることができるんです。
私がインターネットとやらに初めて触れた頃、ネットを使った広告にはある特徴があるとまことしやかに言われていました。
「高収入の顧客層をねらい打ちにできますよ」
当時すでにWebサイトへのアクセスログを業務上見る機会があったので、その言葉は私にとってはリアリティがありました。インターネットに接続できる人って言うのはある程度の収入があり、ある程度の地位がある人が多かったんですね。*3


笑っちゃうよね。今と大違いですよ。


インターネットに接続する環境ってのは、すっかり広く民衆に行き渡っちゃったんだよね。それによってインターネットに蓄積された「知」も同時に広く民衆に行き渡りました。




これは今まで別の産業がたどってきた道筋そのまんまですね。かつて車の運転は特殊技能でした。しかし今では誰でもできることになってしまい車が運転できる人が大きなアドバンテージを持つことがなくなりました。それに伴って自動車自体もステータスシンボルとしての意味がどんどん薄まって生活必需品として一家に一台ではなく一人に一台持つような状況になってきました。*4
コンピュータの技術者だってそうですよね。プログラミングは未だにやったことがない人から見ると幻想を抱くのかも知れませんがどんどんどんどん簡単になってきています。これをプログラミングと言ってもいいのかは微妙ですが、HTMLとかJavaScriptをつかったWebサイトの構築だったら趣味でやっている人の方が職業プログラマーよりもよっぽど上手に素早くできるってことも決して珍しくはないと想像しています。


今まで「限られた人たちだけに許されたこと」がどんどん大衆化して行く、その流れは決して止められないと歴史を見ると思えるんですよ。それを止めたい既得権益を持っている人たちはどうなるか?どんどん専門化、高度化して最終的には大衆が必要としないレベルにまで行ってしまうんじゃないでしょうかね?
医者とかは今でもステータス高いと私なんかから見ると思えるんですが内情を聞くとそんなこともないらしいですからねぇ。食って行くには専門化しないといかんのだけれど、そうではなく大衆の役に立つ仕事がしたいとか思っちゃうと食っていくのがなかなか大変らしいです。他の職業も似たようなものなんじゃないかな?




日本はその流れが一気にきちゃったんじゃないかなぁと思うんですよね。それだけのこと。いずれ世界中がそうなります。私はそう思う。




いや、そういうことを言っているんじゃないんだ。何を言っているんだ。そういう言葉が聞こえてきそうです。
でも、結局同じ事なんですよ。


情報を提供する側もどんどん大衆化すると思うんですよね。っていうかしているんですよね。その証拠に私が今日ここにこんな事書いているじゃないですか。大衆化すればするほどノイズは増えます。しかし、ノイズも多いけれど情報量は明らかに以前から比べ物にならないくらい増えているんですよね。今までは存在しなかったような情報が大量に公開されている時代になっています。


確かに今の状況はカオスだ。ノイズが多すぎて大事な情報が見つからない。しかし、これがどんどん先鋭化していったらいったいどうなるのか?
それがいつも私が書いている世界の姿です。


「誰が言ったかではなく何を言ったかが重視される世界」


インターネットというところは情報がすべて等価に見えやすいと言う特徴があると私は感じています。だから、大量のノイズの中で印象的な言葉があると逆に目立つんですよね。その言葉を、有名人が言ったのか、小学生が言ったのか、名士と言われるような人が言ったのか、鬱憤をためているサラリーマンが言ったのか、そんなことは読む人にとっては関係ない。その言葉やコンテンツ自体が重要なんだ。そういう世界がいずれやってくるでしょう。*5
そうなった場合既得権益を持っている人たちはやはり専門化し高度化していくと思うんですよ。その人たちが出している情報に全く意義が無くなるところまで行ってしまうのでは無かろうかと思ってしまうんですね。




インターネットによってもたらされた「知の革命」。受け取る側の革命は既に完了しています。これからは情報を提供する側に起こる革命です。その革命はいわゆる下克上のような物や既存のピラミッドへの横入りみたいな物とは違います。最終的にすべてが平坦になってしまうような革命です。ハンドルやニックネームを含む個人名を挙げることなんてその世界では意味が無くなります。


何十年後かに、そこまで極端ではなくてもそれに近い世界が目の前に広がっているのではないか、そしてそこに至る変化は既に始まっているのではないか。そう私は考えています。



*1:実はそれについては若干ニュアンスが違う考え方を持っていますがそれを書くと長くなるしこの記事とは関係ないので今日は触れません。

*2:この言葉と印象についても私は釈然としない物を感じていますが今日はそのことは書きません。そのうち気が向いたら書くかも知れませんが一生気が向かないかも知れません。

*3:なんでアクセスログでわかるのかというとそれは秘密だけれどちょっと考えればわかりますよね。

*4:むろん東京などの大都市近郊だとちょいと事情が違うのは言うまでもありませんね。

*5:それに対する反証があります。忘れなければ今週土曜日に書く予定の5月のアクセス解析記事の中で書くと思います。残念ながらね、そうはならないんだよね。ほんと残念……。