『新世紀エヴァンゲリオン』1話〜5話 を初めて見た感想 壮大な設定のホームドラマ?

面白いなぁ、これ。

  • 1話 使徒、襲来
  • 2話 見知らぬ、天井
  • 3話 鳴らない、電話
  • 4話 雨、逃げ出した後
  • 5話 レイ、心のむこうに



録画をしくじらなければ6話以降も感想を書くと思われますので、まずエヴァンゲリオン感想を書くに当たって自分自身で注意しなければいけないことを書いておこうと思います。


表題に書いているように、俺がこのアニメを見るのは初めてです。ですが、ネットからだけという訳ではなくリアルでもいろいろな情報に触れてしまっています。なので、いらん先入観が入ってしまっているかも知れませんし、そもそも初めてアニメを見たからそういう感想を持ったのか、あるいは以前誰か別の人からそういう感想を聞かせれていてそれを思い出しただけなのかの区別が付きづらくなっています。それを厳密にわけることは困難なので、書く俺はもちろんのこと読む人もそのあたりは心にとめておいていただけると助かります。
もう1つ注意しなければならないことがあります。
ネットの公開されているところに漫画やらアニメやらの感想を書くようになってから思ったのですが、たぶんエヴァンゲリオンを見ていないのにそういうのを書いている人は少数派何じゃないかなぁと思うのですよ。そしてまた、そういう感想を書く以上はエヴァンゲリオンのことは高く評価することが当然、というか評価の基準にしろみたいな空気を感じるのですよ。実際そうなっているとかなっていないとかではなく、俺自身が感じるってことです。
そんな空気を感じると、必要以上に厳しい目で見てしまうのは人情という物(笑)。『新世紀エヴァンゲリオン』については「素」の感想を書くのはまず無理なのではないか、自分では気を付けてみても何らかのバイアスがかかった感想しかかけないのではなかろうか?と予想しています。


この作品についてはおそらくいろいろな人がいろいろな感想を書きつづっていることでしょう。俺がこれから書く感想も他の誰かが既に書いている物ばかりなのだろうなぁと思うとげんなりします(笑)。それでもまぁ書いてみようと思います。『新世紀エヴァンゲリオン』をどう捉えているのか?というのを基準に感想サイトを値踏みする人もいらっしゃるかもしれませんので。


例によって前置きが長かったですが、以下テレビアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』の感想です。そうかぁ放映当時は「新世紀」って言う言葉が持つ響きは今とは違ったんだなぁとか思いつつ……。




ロボットアニメ自体あまり見ませんでした。好きとか嫌いとかではなくそもそも見ていない。珍しい男の子だったのかもしれません。ガンダムなんかも最近再放送になってようやく全体像を知ったくらいです。
だから、ロボットアニメとしての『新世紀エヴァンゲリオン』の位置づけなんてわかるわけがありません。話を追って「こういう話なんだろうなぁ」「こういう話なんだぁ」「こういう手法を使っているんだぁ」という程度の感想を持つだけですね。


まず、1話から5話までに呈示されている物語の要素を挙げてみましょう。

  • 1.父と子の確執
  • 2.疑似家族
  • 3.14才



1の父と子の確執と2の疑似家族は同じ事を別の言葉で表現しただけなのかもしれないなぁと思ったり。
碇シンジ君と碇ゲンドウお父さんとの間には、越えたくても越えられない壁があるんでしょうね。そしてお互いに表層意識ではその壁を越えたいとは思っていないけれど潜在意識レベルでは越えたいと願っているように思えてしょうがないです。
5話までなので、実質登場したばかりですからこの後「それは違う」という話になるのかも知れませんが、この物語で主人公シンジにとってのヒロイン的立ち位置になるのであろう綾波レイがシンジの父親であるゲンドウに憧れているような描写が見られます。それは父がシンジにとって越えるべき壁であることの象徴であることを明らかにするための設定なのかなぁと予想しています。


シンジとゲンドウは本来ならば本当の「家族」であるべきなのですが5話の時点では断絶しています。シンジが第三新東京市にやってくる前にどういう生活をしていたかはわかりませんが、彼がここにやってきてからの生活には一風変わった擬似家族的な印象を持ちました。
葛城ミサトは母というより姉って感じですね。やさしいけれど時には厳しくそしてだらしがない姉って感じ。なんかこういう設定って今でもよく見るような気がしますね。


そしてその母なのですが……。


言い古されている感想だと思われますが、「エヴァンゲリオン」は母のイメージなんだろうなぁ。液体の中で呼吸をするって言うアイディアは思い出せないけれど他の作品で見た覚えがありますが、これって羊水のイメージかなと思います。胎内の子供を守り、子供のワガママを受け入れるあたりが母のイメージなんじゃないでしょうかね?
しかし、子供の方はそんな母の思いを知るよしもなく……。母のやさしさに逆に反発したり、時々しかられると過剰反応したりする、そんな設定なんじゃなかろうかと思っています。
壮大なSF的設定はありますが、要素だけを抜き出してみると、厳格で取っつきづらい父と、ロボットの母と、なんかよくわからない姉に囲まれた狭い世界でのシリアスなホームドラマなのかもしれない、つまり「人類を守る」という言葉の意味は「家族を守る」に置き換えてもよいのではなかろうか?と思ったんですね。ここまで見る限り。


最後の項目、14才については簡単に触れましょう。確か当時14才ってのをキーワードとしていろいろ言われていたような気がするんですが、『新世紀エヴァンゲリオン』における主人公が14才っていう設定にはここまで見た限り大きな意味は無いのでは無かろうかと思っています。
そもそも日本の漫画やアニメって、主人公が14才か17才が多いという印象を持っているんですよね。その理由は簡単で日本の学校制度をベースにすると一番物語が作りやすいからなのではなかろうかと思っています。
1年生から描くとなると、主人公が学校に通っているって事にすると学園内での人間関係構築に触れざるを得なくなっちゃうんじゃないかなぁ。それがメインの話ならそれでもいいんだけれどそうではない話の場合、特に時間が進まない形式の漫画の場合はやっかいだろうなと思うんですよ。
逆に3年生を描くのもまた大変。日本のシステムでは受験なり就職なりというイベントが控えていますから。時間が進まない漫画では非常に難しいし、そうでない場合もリアリティを出すためにはそういう大きなイベントを描かざるを得ないと思われます。
登場人物をそういう俗事から切り離して描くためには、中学2年生か高校2年生、つまり14才か17才に設定するのが一番、っていう事情が大きいのでは無かろうかと思っているんですね。




来週は6話〜10話まで放送なのかな?録画予約してみました。首尾良く成功したらまた土日に感想を書いてみようかなと思っています。
今日の感想を発展させていくのか、それとも全然違う感想を持つことになるのか……。
当初予想以上に楽しみにしている俺がいます(笑)。