読書感想文 ドストエフスキー著『地下室の手記』 「痛い」小説

このサイトをほとんど毎日コメントを含めて読んでいる人はご存じだと思いますがドストエフスキー作品を今さら読むには理由があります。本当はその理由を先に書いてから感想に取りかかりたかったのですが、読み終わったその日に書かないと結局先送りしてしまいそうなので順序は逆になってしまいますが初めて読んだドストエフスキー作品『地下室の手記』の感想を書いてみます。


地下室の手記 (新潮文庫)

地下室の手記 (新潮文庫)



古本屋で手頃な値札がついていてかつ薄くて比較的読みやすそうなのを選んで買ってみたんですが、選択を間違えたような気がします(笑)。もしかするとドストエフスキー作品すべてがそうなのかもしれませんが、俺にとってはレベルが高すぎる作品のように思えてなりません。
実際に本屋に行くまで、『イワンのばか』もドストエフスキー作品だと勝手に思いこんでいた程度ですからね、おれは。トルストイかぁ。そういえばそんな人が書いたんだっけかなぁ。昔のことだから思い出せない。
しかしまぁせっかくこういう場があるんですから正直な感想を書いてみましょうかね。


さて、この本の第一印象はこれに尽きます。


ものすごい翻訳です!


こういう事を書くとまた恥をさらすことになるのかも知れませんが、少なくとも俺にとってはものすごい翻訳でした。おそらく、この翻訳でなければこの作品のことを最後まで読み通すことはできなかったんじゃないかな?翻訳物であることを忘れさせるような日本語です。
翻訳者の江川卓氏。すごいですねぇ。野球も上手で翻訳もすごくて……。もしおれと同年代でロシア文学を学んだ人がこのボケをかますと無条件でグーで殴られたような気がします。すいません……。
冗談はともかく、ものすごくわかりやすい翻訳です。日本語の小説みたいに読めます。それでも難しい話なんですけれどねぇ。難しいというか内面的な話なのでなかなか作品世界に入り込めないって感じかな?
たぶん、原語で完璧に理解した上で日本語力もあるからこういう翻訳ができるんでしょうね。


この作品、末尾に翻訳者による後書きがついています。それを読むと、他のドストエフスキーの作品とか、同時代の別の作者の手によるロシア文学を読んだり、当時の社会情勢に思いを馳せたりするとより楽しめるとのことなのですが、おれにできることといえばこの作品単体でどういう感想を持ったかというのを書くことくらいなので今回もそうします。




例によって一点突破で行きますよ。
痛いんですよ。痛い。痛すぎる。ネットなどで使われる意味での「痛い」じゃないです。心が痛いんです。他作品にたとえてもそれを読んでいない人にはさっぱりわからないので心苦しいのですが漫画で言うと久米田康治作品みたいな感じなんですね。『かってに改蔵』とか『さよなら絶望先生』とか。読む人の心をえぐってくる話なんですよ。主人公が紡ぎ出す言葉の一つ一つが自分自身の内面にある黒いなにものかをあぶり出してくるような痛さがあるんですね。


一つだけ例を出しましょう。この作品、前半部分はタイトルの通り「手記」のスタイルになっていて独白が続きます。正直読むのが大変です。後半部分になるとようやく会話文が出てきて少し落ち着きます。その後半部分の一節です。

「なんだか、あなたは……本を読んでいるみたいで」

主人公が娼婦に突きつけられた言葉です。いろいろ考えて主人公が産み出していったセリフが、この言葉によってすべて架空の世界に消えていくような錯覚を覚えます。そして、おれ自身も状況は違っていても同じようなことをしているのではないか、たとえばあの時、たとえばあの時、おれが発した言葉は「本を読んでいるみたいな」言葉として受け手には思われていたのでは無かろうか?そんな疑念を抱くようになってしまいます。




正直、今のおれのレベルでもこの本で読書感想文を書くのはつらいです。もしどうしても書かなければならないとしたら……。反則ですが、本編からではなく解説から読書感想文を書くしかないと思います。意味のないでっち上げですね。原稿用紙を埋めるためだけの行為です。
でもね。感想はうまいこと書けないですし、おれにとってはレベルが高すぎる小説だとも思うのですが、面白い面白くないで言ったら面白い!なんですよねぇ。
読む人をいい気持ちにさせるのが良い作品ってわけじゃないとおれは思うんですよ。『地下室の手記』のように、なんともいえない陰鬱な気分に自分を誘う作品も間違いなく良い作品であるとおれは考えています。