現代人に求められる「演技者」としての自覚 − NHK、唐沢なをき氏取材問題に寄せて


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結局の所、ディレクターさんにはディレクターの描いていた筋書きがあったわけです。唐沢氏はその筋書に沿って「演技」することを求められていました。ところが、唐沢氏には演技しているという自覚はなかった。ご自身の考えがテレビカメラを通して視聴者に伝わると思っていた。
どっちが正しいとかいう話ではないです。もちろん、ディレクターがどういう人で唐沢氏がどういう人かなんてことはこの問題には関係がない。単純に価値観の違いがぶつかりあって、お互い譲らなかった結果こうなっただけなのではないかと俺は思います。




フェアを期すため関連記事のリンクを貼りましたけれどそういうわけなんですよ。このサイトには珍しいあらすじ付きの読書感想文なので読んでない人はぜひお読み下さい。伝えたいことがあります。伝わるかはわかりませんが……。


まさにこれこそ妄想ですよねぇ。現実は「お芝居」ですよねぇ。擬似イベントですよねぇ。
ただ、気をつけなければいけないのは、これはメディア対ネットみたいな話ではないと言うことです。ネットだってメディアみたいなもので、そこではみんな何かしらの演技をしていると思っておいた方がいい。むろん演技をしていない人だっていると思いますが、演技をしていないと思いこんで取り組むと痛い目に合います。演技をしている可能性を常に排除せずに向き合うことが大事なんだろうなぁと思いますね。




すべての人が演技をしている世界。本当のことを言うと衝突をしてしまう世界。自分の行動が他人に認められることだけを心の糧に生きる人生。台本通りに進むことを望む人生。他人が期待するとおりに行動する人生。


そこに正義がある。そういう価値観も間違いなくある。そしてそれはおそらく現状主流である。だからこそ、その「妄想」を打ち破りたい。おれはそう妄想しているんですねぇ(笑)。


こういう場合、もし唐沢氏が「暢子」だったらどういう行動を取ったのかなぁ。見ている人には嘘とわかるような、しかしディレクターは納得するような言い方をしたかもしれないなぁ。
だめだ。俺はやっぱり暢子にはなれそうもない……。




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