読書感想文 志賀直哉著『雪の日 −我孫子日誌−』

我孫子にほど近い千葉県の松戸市。今日も寒いです。時折雪が舞っています。
そういう理由ではないのですがおそらく多大な需要があると思われる『小僧の神様』はスキップして、今日は『雪の日 −我孫子日誌−』の感想を書いてみます。




繰り返し書いていますが、この年になって志賀直哉作品を再読し、恥ずかしながらこの作家のすごさを初めて知りました。しかし、この作品については正直理解できないです。
恐らくそれは恥ずかしいことなのでしょうが、「これは果たして小説なのだろうか?」という疑念から離れることがどうしてもできなかったのです。
ここまで読み進んで、私小説と呼ばれる形式の作品には少しずつなれていたはずでした。しかし、この作品に限ってはどうしても創作の匂いを感じることができなかったのです。むろん文章はすばらしい。必要最低限で読者が理解できるよう言葉を紡ぎ出す技術というのが世の中に存在すると言うことを理解するのには十分な作品だと思います。それでも、やはりどう読んでもこの作品は小説ではなく随筆に思えてしまいます。
そこで思ったのは、小説と随筆という分野というのはどこに境界線があるのだろうか?という素朴な疑問です。個人的には創作部分の有無がその違いであるのではないかと思っているのですが……。その自分だけの常識はここに打ち破られたように思えます。


他の場所でだれ有ろう自分自身が書いているように、ジャンルというものは、創作者や読者が便宜的に用意するものであって、本質的に意味があるものではないのではなかろうかとも思います。
そういう考え方を頭の中では持っていてもわからない。本能的には理解できていない。そんなことを考えさせられる作品でした。