『ハヤテのごとく!』260話はオーソドックスな物語



また、ずいぶんと古い記事を引っ張り出していますが。


主観が支配する部分だと思いますので人によって当然違うとは思うのですが、『ハヤテのごとく!』260話を読んで何とも言えぬ感動やら幸福やら寂しさがあると思ってしまった理由は、俺にとってはたった一言で説明できるんですよね。


背後にある時の流れを感じてしまった。


ただ、それだけです。




ここに至るまでに、ハヤテとアーたんが過ごした10年前の日々のことを読者は知っています。その間はすっ飛ばされていますけれど、何らかの理由でハヤテを思うアーたんは何者かに乗っ取られそうになっていて、それをハヤテが救い出したところで大団円を迎えるというオーソドックスな流れになっています。


しかし、260話はそれだけではないです。


98話で始まった、2ヶ月に及ぶヒナギクさんの物語もまた2度目の終焉を迎えています。それも、巧妙な設定で涙を隠すようにして……




260話単品でみても、その2つの要素が混ざっているのですよね。読者によっては前者と後者で明確な重み付けの差が有ると思うのですよ。
後者の方がよりわかりやすいのではないかなと思います。ヒナギクさんの物語は、むろん想像が補える余地も残されてはいますが、基本的に『ハヤテのごとく!』の中で描かれています。前者は上にも書いたように過程が描かれていません。省略されている部分があります。


しかし、この2つの物語だけみると、非常にオーソドックスなんですよね。主人公がいてメインヒロインとサブヒロインがいて、メインヒロインが勝者になりサブヒロインが敗者になる。むろんここで言うメインヒロインはアテネでサブヒロインはヒナギクということになります。
主人公はメインヒロインとの別離を経験し、ずっと彼女を思い続けている、そして成長したあるとき、サブヒロインに恋心を抱かれるようになる、しかし主人公はそのことに気づかず、サブヒロインに対して自分のメインヒロインに対する思いを打ちあけてしまい、サブヒロインも主人公のために自分の思いを殺してメインヒロインを助ける手助けをしてしまいます。
おそらくそういう物語を読んでも感動はします。人それぞれだけれどそういうべたべたな話、俺は弱い(笑)。


問題はただ1点なんです。


サブヒロインの配置がおかしい!
この流れならサブヒロインはナギであるべきなんだな。そういう読替えをするととても自然な話になって、さらには本当にこれで最終回になるんですよね。


そこから類推したことがあるのですが、それはまた近々別の機会に……。




ハヤテのごとく!』という漫画に内包されている物語ひとつひとつを冷静に事務的に読んでみると、260話のようにオーソドックスな物語であることが多いような気がします。また、260話のように、複数の物語のエンディングを同じに描くことだってあります。それは漫画に限らず多くの作品で今まで触れたことがある俺自身が慣れ親しんだ物語です。
しかし、もし『ハヤテのごとく!』がそれだけの作品だったら、読み続けてはいたかもしれませんがこんなに熱中して毎週毎週感想を書くなんて事はなかったですね。でも、もし仮に『ハヤテのごとく!』が260話のような展開を拒む作品だったら、これほど多くの人に支持されることもなかったようにも思えるんですね。
俺の『ハヤテのごとく!』に対する印象というか評価をこのタイミングでもう一度書くとすると、こんな感じかな?

  • いろいろな人の目に止まる多くの入りやすい入り口があるけれど、一度入ってしまう中は迷宮、入り口だけで満足する人もいれば、中を見てイヤになってしまう人もいるけれど、すべての道を踏破したいという欲求に狩られる人もいるし、出口を探して七転八倒する人もいる



どの入り口から入ったのか、中を覗いてみたのか、どの道をたどっているのかによって全く違う印象を持つ漫画じゃないかなぁと俺は思っています。