インフラなのかプラットフォームなのか



議論の本題については恥ずかしながら自分の意見を持っていないです。私が思うにはメタルを押さえているNTTに対抗するために「そういう空気」に持っていきたいという意図があるんじゃないかなぁ。
そもそも、有線ネットワーク自体がバックボーンとしてのインフラとしての意味しか持たなくなる時代がやってくる可能性もあると思いますしね。


読んで引っかかったのはこの記事の表題にしたところです。
インフラなのかプラットフォームなのか。




圧倒的にインフラでしょう!金をかけるべき所はそこだ。




プラットフォームの例として「iTunes Store」「iBookstore」「Kindle」が挙げられてますよね。そんなところにお金をかけてもしょうがないと思うんだな、俺は。
だから2人とも俺とは違う意見と言うことだ(笑)。


おそらく、あと10年とかかかるかもしれないけど、プラットフォームは共通化すると思うんです。政府がお金を出そうがどうしようが関係なく共通化すると思うんですよ。共通化されたプラットフォームが今我々が知っているものであるかどうかはわからんですよ。でも共通化すると予想している。
ここで例に挙げられたプラットフォームって、昔のパソコン通信みたいなものだと思うんですよね。それぞれの事業者がそれぞれにユーザーを囲い込んでそれぞれ違うサービスを提供している。もちろんコンテンツの中には複数のプラットフォームに対応しているものもあるし、あるプラットフォーム独自のものもある。ところが現在、そうではなくなりつつある。アプリケーションソフトなど、まだ対応し切れていないところはありますが、ブラウザでどこにでも行けてどんなコンテンツでも入手できる状況になりつつある。法的にどうか?っていうコンテンツもあるけど、現実問題できてしまうし、その便利さを我々は知ってしまった。


プラットフォームは自然に統一されていくもの何じゃないかなぁと思うんですよね、おれは。


だから、もし、プラットフォームとインフラのどちらによりお金をかけるべきかと問われれば「圧倒的にインフラ!」と答えますね。どんなプラットフォームに統一されてもインフラが無ければそれを使えないわけだからね。下水処理場を作っても下水道が無ければそれを使えないのと同じような考え方だね。




最後に、コンテンツについて。


俺は、コンテンツはいずれ解放されると思っています。何から解放されるか?それは……「人」から。
ほとんどのコンテンツが人に紐付いています。音楽だって文学だってソフトウエアだって、誰が、どこの組織が作ったかという情報が必ず紐付いています。将来、その紐付きが鑑賞者利用者からは見えなくなる時代が来るんじゃないかなぁと思っているんですよね。
「だれが作ったかはわからないけれどこれはすばらしい」
というように、コンテンツ本体の価値が評価される時代が来るんじゃないかなぁとね。思っていると言うより期待しているですよね。
今まではそうなってしまうと作った人に、特に金銭面での見返りが無くなってしまっていました。しかし、今後ちゃんとそういう見返りも得られる様な仕組みができるんじゃないかなと、いや、できてほしいなと思っています。
ならお前が作れって?簡単にできるくらいならやってますよ(笑)。難しいことはわかっているけれど残りの人生の夢として暖めてはおります。