「紙と鉛筆」VS「iなんとか」 なのか???

コメントを含め興味深く読みました。
また聞きのさらにまた聞きみたいな状態なので宮崎氏の真意なんかはつかめるわけもないので、リンクを張った記事を読んでぼくが思ったことを書くだけです。




「紙と鉛筆」VS「iなんとか」って、そもそも対立するような存在なんですかね?そうではないとぼくは思うのです。両方とも「道具」にしかすぎない。結局、何を使っても、どんなに情報を集めても、集める人の努力を含めた能力が無ければなんにもならないってことなんじゃないかなぁと思うんですよね。
ふと思い出したのは社会に出てすぐに先輩に言われた言葉。
当時、メインフレーム向けのアプリ開発(というにはあまりにしょぼいものだけを担当していた)をしていましたが、スタンドアローンのPCでも開発とかをしていたんですよねぇ。そのころもそれなりに便利なアプリってのはあったんですよ。そういうのを使っていたらね、
「使うのはいいけれど無くてもできるようにしておけよ」と言われました。
世界中のコンピュータがネットワークにつながるなんていうのは妄想扱い、開発者全員に専用のPCがあてがわれるのだって憧れだった時代です。自分がやりやすいように工夫して環境を作るのはいいけれど、その環境がなくてもなんとかする力をつけなさいってことだったんですよねぇ。
しかし、口で言うのは簡単。やるのは大変です。当時はFDとかVZとかが入ったフロッピーディスクを持ち歩いていましたねぇ。今だってORACLE関係の開発をするのなら SI Object Browserを入れないとかなり効率が落ちるのを実感するし、秀丸エディタがないとかなりつらい気持ちになってしまったりします。Javaの開発始めたのはいいけれどeclipseが無ければ何もできない人になりそうな気がして怖いです。本当はそれじゃかんのよね。


そういえば、ぼくのObject Browserの使い方、他の人と違うらしいんですよ。良く非難される(笑)。でもぼくはぼくなりにポリシーを持ってその使い方をしている。その使い方の方が優れていると信じている。ところが、初めてeclipseを使ってツールの使い方がある程度わかったら自分のポリシーに反したことをしていました。その程度なんだよねぇ。道具ってさぁ。使えればいいし使いたい様に使えばいいんですよね。


すっかり自分の業界の話になってしまいましたが、それと同じなんじゃないかなぁと思ったんですよ。それができる人にとっては「紙と鉛筆」だろうが「iなんとか」だろうが同じであると。多少効率が良くなったり悪くなったりすることはあっても結果としてできる物は同じであると。なのに「iなんとか」命!みたいなことを言っているのはおかしいのではないかと。「紙と鉛筆」も「iなんとか」もたかが道具。問題は道具を使って何をするか。そこが見えていない人がいるのかなぁとぼくは思いました。
道具に対し愛情を持つというのは良くあることです。非難されるいわれはありませんし、非難する権利もありません。それは万人に言えること。「紙と鉛筆」を使っている人にも「iなんとか」を使っている人にも言えること。自分にとって使いやすい道具を愛情を持って使う。そして「何かを産み出す」。それができれば何も問題は無いんでしょうね。