現代社会における情報強者と情報弱者

情報が満ちあふれる現代社会において、情報に強い人、弱い人の差は確実に広がっているのではないでしょうか?しかし、よくよく考えてみると、一般的にイメージされる情報強者と情報弱者というのは、実は実態とはかけ離れているのではないかと私は思うのです。




情報強者とはどういう人のことを言うのか?
まずは情報収集能力に長けている人をイメージしますね。そして、それを取捨選択し、咀嚼し、自分に必要な、あるいは重要性が高い情報に変えることができる。そういう人が情報強者なのでしょう。


対して、情報弱者とはどういう人のことを言うのか?
最初にイメージするのは、情報の収集自体ができない人のことでした。満ちあふれている情報に気づきもせずに漫然と日々を送っている人。そういう人が情報弱者なのではないかと思っていました。
しかし、それは違うのかも知れない。
真の情報弱者というのは、収集した情報を処理できない人なのではないでしょうか?集めた情報を吟味することができず、満ちあふれた情報に振り回されてしまう、そういう人が情報弱者なのです。


そう考えると、ある問題が見えてきます。


情報弱者は、多くの場合自分のことを情報強者と誤解しているのではないでしょうか?それもそのはず、前半部分の「情報を収集する」というところは同じなのですから。そこに情報強者の情報強者たる所以があると考え勝ちであるし、もしそう考えてしまうとそこだけをまねることは比較的簡単なのでそこで満足してしまうのです。


私がこうやって公開日記を書いているように、現代社会では自分で情報を発信することが非常に簡単になりました。情報を発信する人の質もさまざまです。そして、その質はその人のバックグラウンドや肩書きの如何に関わりません。バックグラウンドや肩書きはあくまでも参考情報に過ぎません。実力がそのまま公開され他者と比較されてしまう厳しい世界でもありますが、情報の受け手から見ると、情報強者が発信した情報も情報弱者が発信した情報も、一見等価に見えてしまいます。特に、自分の中で情報を処理できない「情報弱者」にとってはそれが顕著です。


むしろ、満ちあふれた情報に気づかない人たちの方が、触れる情報量が少ない分、情報を有効化することが簡単にできるのでしょう。




情報強者と情報弱者。その違いは明らかに存在しています。しかし、自分自身では、そのどちらの属するのか、客観的な評価をすることが非常に難しいです。
自分自身で情報を発信して、その情報を時間をおいてある程度客観的に評価することは、それをチェックする一つの有効な手段と成り得ます。