読書感想文 竹宮ゆゆこ著『ゴールデンタイム1』

この日記にも書いていますが、私は「作者と作品は分けて評価すべき」という考え方を持っています。その考え方の裏には、自分自身が作品を作家を見て買うことが多いという事実があります。ある作者の作品が気に入ると、その作者の作品を全て読まなければ気が済まなくなってしまいます。今に始まったことではなく子供の頃からずっとそうでした。
今回、この本を手に取ったのは、『とらドラ!』を世に送り出した作者の作品である、という理由からです。それ以上の理由はありません。




1巻冒頭で提示されている主要登場人物は6人。男3人、女3人。この先増えるかも知れないですが、この6人と既に出てきている他の登場人物たちによる、帯の言葉を借りると「ラブコメ」が始まるのでしょう。
1巻を読んでみた限り、コメディ分は薄目だなぁと感じました。極端な設定を用意した上で、その極端な設定であるが故に可能になるリアルな描写をしようとしているんじゃないかなぁと感じました。
この作品で言うと、主人公の多田万里が記憶を失っていると言う設定ですね。この設定を今のところはお涙頂戴として使っていない。あくまでも主人公にとってのリアルとして描いています。そして、この設定こそがこの作品が最低限のリアリティを確保するために必要な設定なのかも知れないと私は思いました。他作品言及になってしまいますが、『とらドラ!』では逢坂大河手乗りタイガー、つまり凶暴であることが作品に最低限のリアリティを与えると作者が信じているのではないかと思ったのと同じように。



物語はまだ始まったばかり。大学に入り新しい生活が始まった彼女彼らはこれからどんな事件に巻き込まれ、どんな壁にぶち当たっていくのでしょうか。
そして、恋の行方はいかに……


1巻のラストシーンがとても印象的でした。
そこまで描かれてきた恋心と、登場人物の視線が一致していない。逆になっている。
小説の中で描かれている恋心は
多田万里→加賀香子→柳澤光央→岡千波
という流れに見えますが、ラストシーンの視線は
林田奈々←多田万里←加賀香子←柳澤光央←岡千波


この場面を見て、もしかするとこの話って主人公とヒロインの恋が実る話ではなく、全てひっくるめて元の鞘に収まる話なのかもしれないなぁとなんとなく思いました。


2巻も買います。