もう5年、まだ5年



端から見たらどう見えるのかはわからないけれど、俺は自分自身ことを醒めている人間だなぁと思っています。醒めている、というか、夢中になれない。オタクのくせに夢中になれない。だから半端。何事も途中ですぐに飽きてしまう。途中だと言うことも気づかずに飽きてしまう。だからなにも成し遂げることができない。そう思っています。
夢中になれる人のことを表面的には醒めた目で見つつも、実は内心うらやましいと思っています。もしも夢中になれることができるのだったら夢中になってみたい、そういう欲望があります。


生活にメリハリをつけるために公開日記を書き始めましたが、なにか特別に書きたい物があるというわけではなく、おそらくはすぐにやめてしまうだろう、うまくいけば惰性で続けていけるかも知れない、そんな醒めた見方をしていました。


2010/8/20 までは……


2005/11/18から2005/11/27にかけてアップロードしたハヤテのごとく!の長文感想は、書きたくて書きたくてどうしようもなくて書いたんですよね。自分がこんなに夢中になれるとは思ってもいなかった。とにかく書きたい。他人がどう思うとか関係なく書きたい。熱に浮かされたような数ヶ月間でした。大げさに言うと、人生が変わった。
今でこそ本の感想をここに書く時に、これはどういうパターンでだから面白いみたいなことを書いていますが、もしかすると外から見るとえらそーにみえちゃったりするのかもしれないけど、それらは全てハヤテのごとく!の感想を書くためにいろいろ考えた過程で自分なりに思い付いたことがベースになっています。ハヤテのごとく!に出会うまで、物語がなぜ面白いのか?なんてことを考えようと思ったことはなかったです。面白ければそれでいい、理由なんかどうでもいい、というかどうでもいいとすら思ってなかった。「面白かった」で終わっていた。「つまらなかった」で終わっていた。「読むんじゃなかった」で終わっていた。
ハヤテのごとく!を読んでから初めて気づいたことがたくさんありました。俺は常に先を予測しながら本を読んでいるんだなぁとか、物語にはいろいろ類型があるんだなぁとか、時の流れを作中で描くと人間は本能的に感動してしまうのかなぁとか、時の流れを描くためにいろいろな手法をいろいろなメディアで、大勢の創作者が試行錯誤をしているんだなぁとか……。2005/11/18から2005/11/27にかけてアップロードした感想文や、その前後に書いた他の本の感想を書くことによって、自分自身が何を考えているかが初めてわかったような気がしました。


しかし、そこまで考えてもハヤテのごとく!が面白い理由がわからなかった。どの類型にもあてはまらなかった。他の人にとってどうなのかはわからないけれど、俺にとってはそういう作品だったんです。
そして、まさにその混乱の中で書いたのが、2005/11/18から2005/11/27にかけてアップロードした長文感想でした。


結果的には、それから1年数ヶ月後に、ようやく自分なりの答えを見つけることができました。

それが正しいのかどうかはわからないですし、そもそも正解があるのかもわからない。正解はたくさんあって、そのうちの一つにたどりついただけなのかも知れません。それでも、時間はかかったけれど、そこにたどりついたあの瞬間は一生忘れられないものとなりました。夢中になったからこそたどりつけた一瞬だったはずです。永遠を感じる一瞬、などという言葉は単なる比喩だとずっと思っていましたが、本当にそういう瞬間があることを実感することができました。


もう5年、しかし、まだ5年。


これからも時は流れ続けます。何年、何十年と経ってから、この時書いた自分の文章を読み返すと、気恥ずかしさとともに、人生の一瞬に本当に夢中になった時期があったんだなぁと懐かしく思い出すことができるのでしょう。他の人からどう見えるかは関係ない。5年前に書いたこと、書けたことは自分自身にとって大きな財産になっています。