「秋葉原歩行者天国再開」に抱く違和感



きっかけとなったあの事件以来中止していた歩行者天国がようやく再開されるらしいですね。この話、申し訳ないけれどどうにもこうにも違和感が消えないです。




1つは世代の問題です。


秋葉原歩行者天国がどうしても結びつかない。歩行者天国と結びつくのは中央通りなんです。もう遠い昔の記憶ですが、日本を代表する庶民の街の一つである上野から、日本一の電器街秋葉原を抜けて、ある意味では日本の真ん中の日本橋を通り、日本一の高級繁華街銀座に至る歩行者天国なんです。なぜ秋葉原が特別扱いされているのかが理屈ではわかっているんだけれど本能的に理解できていない(笑)。歩行者天国が途中で切れているっていうのが未だイメージできてないんですよね。
当時住んでいた町屋から地下鉄に乗って銀座まで行き、上野までぶらぶら歩くというのは、貧乏家族にとってはお金がかからない良い休日の過ごし方でした。〆には上野でごはん食べて公園でぼーっとして……。ちょっと贅沢な気分の味わえました。上野でごはんを食べるのがポイント。銀座で食べてはいけない(笑)。上野から京成電車に乗ると、「これで日曜日も終わりなんだなぁ」というメランコリックな気分になったことを未だに思い出します。


もう1つの問題。それはあの事件について言及することへの違和感です。
納得いかないんですよ。あの事件と歩行者天国の中止再開を関連づけることには納得いかない。
あの事件が起こったのは歩行者天国のせいではない。もし本当にそうならば、あのエリアだけでなく、途中以降サテンを挟んでいる歩行者天国は全て一度中止すべきでしょう。もしそういう論理的な考え方ではなく、遺族の心情面を配慮したということならば、むしろ、人通りが多い場所はもっと積極的に自動車交通を排除すべきなのではないかと思うんですね。それが感情面でも論理面でも納得が行く落としどころなのではないかなと思うのです。
秋葉原エリアでの歩行者天国の中止は商業面での理由の方が大きいのではないかと想像しています。あくまでも想像です。自動車での移動よりも電車での移動の方が便利な東京都心であっても、自動車で買い物に来る人は少なからずいます。そこそこ大きな買い物をしてもお持ち帰りができる車での買い物はそりゃ便利ですから。歩行者天国の利便性よりも車で買い物をしに来る人の利便性とを天秤にかけたとき、どちらを優先すべきか、というところに歩行者天国中止の理由はあるのではないかと思うのです。あの事件も、路上パフォーマンスも、理由のための理由なのではなかろうかと思うんですよね。


さっきも秋葉原行ってきました。駅エリアから千石秋月エリアにいくのに、横断歩道をわたらなきゃならないのはうざいです……。1利用者としては今すぐにでも歩行者天国を再開してもらいたいなと願ってやみません。