読書感想文 武田尚子著『チョコレートの世界史』 チョコレート工場の本当の秘密…… 世界史シリーズ第7弾



この本を読むまで「世界史」シリーズの新書にはずれなし、という印象を持っていました。しかし……。
「はずれなし」とか言うのは失礼でした。ものすごく面白くてものすごく今まで自分が知らなかったいろいろな知識を得られるものすごい本でした。


この日記にアップロードする感想文、特に若者たちが「しかたなく」読みに来る可能性がある感想文では、ここにポイントを絞るとかけるのでは無かろうか?こういう書き方をすると原稿用紙が埋まるのでは無かろうか?という切り口で書こうと努力はしていますが、この本に関してはまだそれができる状況ではないです。この先それができる状況になるのかもわかりません。未だ自分の中で消化することができていません。
今日の感想文では、この本を読みながら私が思ったことを散文的に書き連ねて行きます。

過去の世界史シリーズ新書感想文





過去記事へのリンクを貼り付けたので、まずはそれに関係する点であり、この記事の表題にもした件について触れることにします。


『チョコレートの世界史』で、今まで私が読んでここに感想を書いた世界史シリーズの新書が全てつながりました。

ヨーロッパ以外の地域で生産されヨーロッパで消費される商品作物について書かれた『コーヒーが廻り世界史が廻る』、『砂糖の世界史』、『茶の世界史』。逆に、ヨーロッパ内で生産消費される主食となりうる作物についての『ジャガイモの世界史』はつながりはわかりやすいです。
さらに、異国から移入された嗜好品的な要素を含む作物には、常に「毒」あるいは「薬」ではないかという恐怖が裏に存在していると言う点から『毒と薬の世界史』もつながっています。
そして、この本でついに『都市計画の世界史』がつながりました。
『都市計画の世界史』は異質な本だと思っていました。その本を手に取ったのは私自身の興味と一致しているからであって、世界史シリーズの1冊であるという点は付帯的な意味しか持っていませんでした。しかしつながりました。
近代イギリスのチョコレート工場において、「理想の工場を作る」という目標だけではなく「理想の都市を作る」という考え方までもが具現化されようとしていたのです。読んでいて鳥肌が立ちました。全ての事柄はつながっている、それが現実(リアル)である。しかし、我々が目にすることができるのは、それを、あるタイミングで、ある切り口から切り取った表層部分にしか過ぎないのではないか、そう思いました。
さらに『チョコレートの世界史』によると、イギリスでのチョコレート産業が発展した裏にはクエーカーというイギリス国教会とは別の宗教団体が存在しているということから、宗教面での世界史とも絡み合ってくるのではなかろうかとも思いました。チョコレート産業の発展の裏に、当時のイギリスでクエーカーが置かれていた状況や、その教義がある、この本を読まなければ私には一生触れることができないお話です。


世界史シリーズのどれかを読んで「面白い!」と思ったのなら、試しに他の著作を読んでみることをお薦めします。




次は、ヨーロッパと植民地の関係についてです。
植民地で黒人奴隷を、非常に書くのが厳しい言葉ではありますが……、「消耗品の生産機械」として配置してヨーロッパの人々の嗜好品を生産する、という点について着目すれば、当然感想文の一つや二つは書けるでしょう。『砂糖の世界史』と同様です。商品作物の世界史について触れるときには決して避けて通ることができない事実です。




チョコレートならでは、の見方として、職人による一点ものの逸品と、工場で大量生産された安価で品質がよい普及品との関連があります。
非常に興味深かったです。現在もチョコレートが職人の手作りに頼っていたら、おそらくは私の口にはいることは無かったでしょう。貴族の高級な嗜好品から誰もに愛されるお菓子に変わることは無かったのでしょう。しかし、チョコレートの面白いところは、未だに「高級な嗜好品」もそれはそれとして生き残っていることです。そして、これは想像でしかないのですが……、「高級な嗜好品」としてのチョコレートは私が普段食べているチョコレートとは全然違うもののような気がするのですよね。言い方を変えると私でも違いがわかるくらい違うんじゃないかと思うんですよね。本当に「高級な嗜好品」であるチョコレートは食べたことが無いと思うので想像でしかないです。もしそうとは知らず食べていたとしたらそこまでの違いはないということになってしまいますね。




kitKat」を食べたことがないひとはあまりいないのではないかと思います。あの包み紙をみると味が想像できる人がほとんどなのでは無かろうかと思います。口絵冒頭に掲げられているのは「kitKat」の包み紙です。しかし、その包み紙はあの赤ではなく青なのです。
戦時中に材料が十分手に入らない状態で作られた「kitKat」。この「kitKat」は本物の「kitKat」ではないというメーカーの主張。平和な時代に本物の「kitKat」を食べて欲しいというメーカーの意志。一消費者からみれば「たかがチョコレート菓子」にしか見えないその商品の裏には作り手の気持ちがこもっています。そしてそれはたぶん「kitKat」に限った話ではありません。もちろんチョコレートに限った話ではありません。そういう気持ちを込めた商品だけが世代を超えて愛されるのではないでしょうか。








〆の言葉を書いてしまいましたので感想文本編は以上で終了です。
でも、もう一つ書きたいんですよねぇ。


世界史シリーズの新書は面白いです。その面白さの理由は著者、筆者が持っている「対象物への愛」だと私は思います。
『チョコレートの世界史』ではかなりの数の図版が収録されています。何気なく見ていたのですが、その図版の出所に気になるところがありました。
「著者所蔵」が多いのですよ!
なんでこんなもの持っているの?と思っちゃいます。そして、その問いに対する答えも何となく想像がつきます。




好きだから




なんだろうなぁと。




学者なので「研究のため」という理由はもちろんあると思います。しかし、研究ってのは好きだから研究をしているんじゃないかなぁと思うんですよね。分野は違うけれど私が大学時代に教わった専攻の先生方はみんな自分の研究分野が大好きでした。オタクと言ってもよかった。学生もオタク集団みたいなものでしたが、若い者に「俺ら私らもまだまだだな」と思わせるくらいマニアックでした。
本当に好きなものに愛を込めて文章を記す、そういう本を読むと不思議と何か伝わってくるものが有るように思えます。そんなオカルト話は信じたく無いのですがそう感じることもあるのも私にとっては事実なのです。


この本はお薦めしたい。強烈に愛を感じる。