東京郊外で「帰宅難民」になってみてわかったこと

私は千葉の松戸と言うところに住んでいます。そして、今現在の職場は東京都の府中市にあります。まぁ書いても特定できないでしょうから書いちゃいましたが。ドアドアだと片道50Kmくらいあるんですね。
郊外から郊外に帰るのに帰宅難民になったわけです。都心部での状況は報道などでも紹介されることが多いのですが、郊外ではまた違う所もあるように思えました。
正直、自宅に帰ってきて状況をみればみるほどこんな記事を書く意味は無いように思えてくるし、書いている場合ではないと思えてくるのですが、その場では必要な情報だったと思うので書き留めておきます。




まずはライフラインですよね。大事。水、食料、お金、そして、今の時代だとケータイです。ケータイが困りました。主に電池的な意味で。乾電池から充電できる機材を持っていたのですが単三乾電池うりきれちゃってたんですよ。これからは常に4本くらいは鞄に入れておくことにしておきます。
また、よく言われることですが、こういう場合はパケット通信が強いです。音声通話やauで言うところのCメールは届かなくてもEメールなら通じました。さらに情報はネットで取得しました。私の場合は主に2ちゃんです。
帰るのが難しい局面で無駄に動くのはいけないのかなと思いました。まずは情報を収集して帰る方法があるのかを見極めるとともに必要な人の安否情報を確認することが大事です。安否がわからないと不安に駆られて無駄な行動をしてしまいがちですからね。それを考えるとケータイってライフラインなんですよねぇ。
あとお金。現金マジ大事。カード使えません。これは盲点。現金をある程度持ち歩くようにしていないと不測の事態が起きたときにやばいです。


ここまでは郊外だからってのは関係ない話です。


こういう大規模な災害が起こると食料と水の入手が大変だという話になるのですが、今回は大きな被害を出した地域からは東京が遠く離れていたので、少なくとも郊外に限って言うと食料と水の面で不安は全くなかったです。むしろ心配だったのは財布の中身。無駄であっても少し多く持ち合わせていた方がいいのかなぁと思いますね。上にも書いたようにカードとかは使え無くなっちゃうから。
当然のことながら多くの人は都心から郊外に帰るのが困難になって都心で取り残されます。逆に郊外似取り残される人はそれほど多くはないはずです。いや、十分多いと思いましたけれど相対的には少ないんでしょうね。だから食料の奪い合いみたいなことにもならなかったんじゃないかなぁと思います。しかし今回は配送網が麻痺していたというわけではないかもしれないので都心でもそのあたりの事情は変わらなかったかも知れませんね。


上記のように多くの人は都心から郊外に帰ろうとします。しかし、今日の私は郊外から都心を通って郊外に帰ろうとしていました。そこで取った方法。それは都心をスルーする交通機関を使うことによって、比較的良い条件で帰宅というミッションをクリアしようとしたのです。
具体的には府中から笹塚まで行って、そこからと英新宿線に乗りました。そうすることによって人があふれているであろう新宿駅構内をスルーできますから。そうしたら、予想通り途中からひどい混み方になりました。座っていても圧力を感じるレベルでした。総武線が動いていなかったのでバイパスルートとして使う人が多かったみたいです。
他の人が乗るよりも前に電車に乗ることができる郊外から郊外への帰宅ミッションは実は条件がよいのかも知れません。




以下、余談です。


今回は上記京王線から都営新宿線の後、本八幡から八幡に歩き京成に乗って津田沼、そして新京成に乗って松戸市内というルートを取りました。途中で臨機応変に変更した結果そのルートになりました。もちろん、千代田線常磐線が動いているのなら小川町乗換で鉄板なのですが、そうなっていなかったら、被災者のみなさまからするとお気楽すぎて腹立たしい理由ですが、もう眠たくて疲れたので手持ちの資金で本八幡から自宅までタクシーを使おうと思っていたんですよね。しかし、目論見通りには行かなかった。タクシーこねぇ。そこでやむなく区画整理事業ですっかり様変わりした道を歩いて京成に行ったら入場制限。運良く2本目くらいに乗れたのですがたまらなくぎゅうぎゅう詰めにされました。今日の京成電車はカオスで、私同様帰宅難民になった人と、普通に使おうとしている人、さらには成田空港への足として使っている人が混在していたんですよね。特に成田に向かう人たちは当然大きなバッグをもっているわけですよね。なのでバランスを取るのが大変でした。昔の満員電車を思い出しましたねぇ。


たぶん私は、比較的楽に家に帰れた帰宅難民なのでしょうが、それでもものすごく疲れたし不安だったしいろいろ思うところもありました。
自分や家族、そして地域コミュニティの被害は軽微でしたが状況がだんだんと明らかになるにつれ、自分たちが大きな被害に遭わなかったのは単に幸運だったからなんじゃないかなぁと思えてなりません。