ニコニコ生放送はニコニコ動画からの退化である

ニコニコ生放送、大人気ですね。見る立場の人にとってはもちろんのこと、比較的簡単に放送する立場になれる、これはUstreamでも同じ事が言えるのですが、という利点を生かして、今までリアルタイムの動画配信などとは無縁だった人々も利用するようになっています。
この記事では技術的なことを語るわけではありません。私は動画配信の技術要素はわかっていませんのでそもそも語れません。この記事で書きたいのは、動画配信が実現する仮想空間の位置づけです。最終的にニコニコ生放送は退化であるという結論に達した過程を記してみます。
とても簡単な話です。短いです。




動画サイトというのに最初に触れたのは、ご多分に漏れずYouTubeでした。正直、それほど興奮することはありませんでした。動画ファイルをデータとしてネットにアップロードすることはそれまでもできたことです。それを、誰でもできるようにし、さらにブラウザで気軽に見られるようにした、ということで一気に普及したと考えています。もちろん、それに必要な技術要素は色々あったと思いますが、一番重大な要素は端末とネットワークが、そのアプリケーションを処理するだけのパワーを持つに至ったということだと考えています。
インターネット一般普及の創生期、Windows95によってTCP/IPというプロトコルが気軽に利用できるようになったあの時期、遅い回線と遅いマシンで画像の表示にも苦労していたことを思うと現代の状況は夢のようです。巨大なファイルをあっという間にダウンロード、アップロードすることができ、かつそれを、端末側サーバー側のいずれにも気軽に保存できるという時代が本当にやってくるとは、想像はしていましたが本当に実現するとは思っていませんでした。しかも、それが数年の間に実現してしまったのですから。


そんな中、他にも同様のサービスがあったのかもしれませんが、コメント機能に特化した形で産み出されたのがニコニコ動画でした。
私はニコニコ動画を動画配信サービスだとは思っていません。思い返してみましょう。そもそも最初にニコニコ動画のサービスが提供された時、動画はYouTubeなどにアップロードされているものをそのまま使っていましたよね。ニコニコ動画でサービスされていたのは、その、動画の上に、つまり動画のタイムライン上にコメントを書く機能です。そして、その機能こそが、現在までニコニコ動画の基幹機能となっています。


さて、今までにも何度か同様のことを書いていますが、ニコニコ動画が他の動画配信サイトと一線を画しているところは、まさにその基幹機能にあると考えています。動画のタイムライン上で利用者同士が会話をできるのです。そこから自然とコミュニティ的な集まりが生まれてきます。
それこそが、ニコニコ動画の強みであり、ネットでしかできないことだと私は思ったんです。
時間と空間を飛び越えて、同じような趣味を持つ人たち、あるいは相反する趣味を持つ人たちと「同時に」一つの映像を見ながらだらだらとおしゃべりできる場になっているんですよね。空間を飛び越えるというのはネットの特性としてそれまでもよく言われていたことです。言語の壁はあるにしても、たとえば私が書くこの記事だって、読もうと思えば世界どこでも、というわけにはいきませんが、多くの地域で読むことができるんです。当然世界の多くの地域で同じ動画を見ることはでき、世界の多くの地域で同じコメントを読むことができます。
しかし、ニコニコ動画では、もう一つの要素、「時間」が私にはとても興味深く感じられたんですね。
動画のタイムラインが仮想的な時間経過になっていて、実際にコメントをつけたタイミングではなく、動画の何分何秒に書いたかによって会話が成立していくという不思議な感覚に襲われたのです。
つまり、時間というどうにもならない壁を越えたのです。
もともと、ニコニコ動画には2ちゃんねるのユーザーが多く流入しました。2ちゃんねるに対しては、これもずいぶん前に書きましたが、同時性が命なのだろうなと考えていました。ある程度時間の壁は乗り越えてはいるけれど、その時のスレの流れという物があり、その流れに身を任せることによる快感があるなぁと。特にROMってる場合はそれを強烈に感じます。どこかはわからないけれど、同じ板の同じスレにアクセスしている誰かがいて、その人がどういう人なのかもわからないけれど、自分と同じ事を考えていたり、自分とは全く違うことを考えている、とにかく自分の好きななにかのことを考えてくれている、という感覚を得ることができる場所でした。もちろんそれ以外にも要素はありますが今回の記事には関係ないので今日は書きません。




話を戻すためにもう一度書きます。
ニコニコ動画は動画のタイムラインという時間軸を得ることによって、空間だけでなく時間も仮想化した空間を作ることに成功した。
私はそう思っています。




そこから逆に冒頭に挙げたニコニコ生放送を見てみましょう。
ニコニコ生放送っていうのは生放送です。当たり前ですね。そう書いてある。生放送って言うことは、映像が流れている時間軸と、実際に流れている時間軸が一致しています。
だから、空間は仮想化できていても、時間は仮想化できていないのです。もし仮に生放送の様子をコメントも含めすべて後で見ることができても、そこには生放送の当時と同じ形で参加することはできないのです。
そう言う意味で私は「ニコニコ生放送は退化である」と思うのです。


実際には、ニコニコ動画の魅力である、友だちとか家族とかと一緒にテレビにいちいちツッコミを入れる仮想お茶の間的な感覚は生放送だとより強く感じます。推理小説のネタになりそうな話ですが、たとえば生放送中に地震があったりすると多くの人がそのことに触れたりする。放送なんてどうでもよくなってしまうことだってあるかもしれません。それは通常のテレビと同じですが、作り手と受け手が一緒になって情報を発信していくというところは全く違います。ある意味では、コンテンツの価値を創造する責任も受け手が一部負っていると言ってもいいのかも知れません。
しかし、根本的に、アップロードされた動画にコメントをつけて楽しむという、通常のニコニコ動画のコンテンツとは方向性が違うと私は思います。生放送にしかできないこともある替わりに、生放送ではできないこともまたあるのです。


ニコニコ生放送は見てみると楽しいですし、技術的にはすごいことなのかもしれません。しかし、インターネットで実現した仮想空間でのコミュニケーションという意味では、ニコニコ動画よりも退化しています。