ライトノベルを再定義してみる 蛇足

補足ではなく蛇足です。




そもそもライトノベルというジャンルがある事を知ったのも読む寸前だったわけです。んで、最初に読んだのが『涼宮ハルヒの憂鬱』でぶっとんじゃったんですよねぇ。少なくとも俺にとっては衝撃的な作品でした。未だにここ10年で読んだ作品の中ではベストな小説ですね。そしてちょっと勘違いをした。
ライトノベルすげーと思っちゃった。
よくよく考えればそれはおかしな話だってことはすぐにわかるはずです。ライトノベルってのは便宜的につけられたジャンルの名前でしかないわけで、そのジャンルに属する作品の中にはいろいろあるわけですよ。玉石混淆ですよね。そこにさらに読者である俺の趣向が入るわけなので、ライトノベルだからという理由でその作品を気に入るかというとそれは別の話ですよね。


それはともかく、ライトノベルっていう言葉の定義がもやもやしていたのはほんとうです。どうもね、しっくり来る説明が無くてねぇ。
ところが先週の土曜日、友だちと映画の話をしたのと、日曜日にオフ会でラノベの話をしたのとがかぶさってなんかすんなり受け入れる事ができる結論が簡単に出ちゃいました。


くどいですけど、あくまでも俺にとっての定義。共有できる人はいらっしゃるかもしれないしいたらうれしいけれど、納得できない人がたくさんいる方が自然だと思います。なんせ絶対的な読書量が足りてないのでね。極めて小数のサンプルから導き出した結論ですから。




それに、そもそもジャンル分けなんて無意味だと思うんですよ、俺は。その作品ひとつひとつをジャンルや作者に惑わされずに読むべきだと思うんですよね、究極的には。
しかし、残念ながらそれは難しい。俺自身全くできていません。でもできていないし難しいからこそ意識するようにしていなきゃいけない、と思っています。