ハヤテのごとく!344話「剣野カユラ、かく語りき(3)」感想 最初の一人、最後の一人

おー。カユラが語った。



仮想今週の1コマ

14ページ目2コマ目。
この話、映画の前に読んでいたらまた違う感想を持てたかも知れないなぁ……。

ポイント

しょーもない理由

先週の引き、オチはしょーもない理由だろうなぁと思ってたけどやっぱそうだった。でも……

コスプレ

ハヤテは幼女の裸には興奮しない体質。幼女って言っても中学生なんだけれどねぇ……。ってか、せめて気にするふりくらいはしろwwww

まとめ

まぁ……。そうなんですよね。そうでないと非常識な成果を産み出す事は絶対出来ないんですよね。ただ、そうやったとしてもあふれるほどの才能と運を持ち合わせていないと本当に成果を残す事ができる人にはなれないんだろうなぁ、と思います。


今週のカユラの言葉は、俺がこの漫画に寄せている思いに非常に近いです。
でも、決定的に違う所がある。
カユラは「ナギ」という創作家に対して言葉をかけているのに対して、俺は「ハヤテのごとく!」という作品に対して文字を書いている。その違いは些細な事のような気もするしとてつもなく大きい様な気もします。
考えてみれば一人の作家の作品を全部読んだ事って今までないんですよねぇ。全集を読んだ筒井康隆だって全集発表後の作品のうちいくつかは未だ未読だしなぁ。


畑健二郎さんの漫画は生きている間は全部読もうかなぁと思っていますけれどとりあえず最初の長編がまだ完結していないので何とも言えないですね(笑)。


畑健二郎さんが「ハヤテのごとく!」という漫画を連載する時に何を思っていたのかは想像すらできないのですが、今までに発表された部分から想像すると、当初何を考えていたかにかかわらず、結果的に常識を越える作品になっていると俺は思うんですよ。こういうことをしてはいけない、というルールがあるのかはわからないですが、「普通はこういうことはしない」ってことをいろいろやっているんですよね。思い返せばその1発目が「使用人たちの夜」だったんですよねぇ。あれでわけがわからなくなりました。
俺はこの漫画は1000年に一度の革命を起こすと確信しています。いやぁ、ちょっと違うなぁ。1000年に一度の革命を起こすかもしれないという疑念を持っているなのかなぁ。言葉にすると全然違うのですが、なぜかニュアンスは近いように思える(笑)。
その結果が出るのはこの漫画が完結してから少なくとも数十年、もしかしたら百年以上先なので見届ける事はたぶんできないですけれど、もし本当にそうなるとしたらその萌芽くらいは目にする事が出来るかも知れません。


作中でナギがそういう漫画家になるのかはわからないですが、同人誌編もハヤテのごとく!の一部としてゆるゆると続いていくんでしょうね。


ほんと、未だこの漫画、本筋が見えない。もしかしたら本筋はここまで全く出てきてないのかも知れないと思えるくらいだ……。


俺はこの漫画の「最初の一人」ではあり得ないですが、「最後の一人」になる覚悟はあります。もちろんそうなる前に人気が落ちたら連載が終わってしまう厳しい世界ですけれどね。
こういう言葉をかけられたら創作する人はどういう気持ちになるんでしょうかね?これもまた想像すらできないなぁ。




私がこの漫画にこれほどまでこだわっている理由とその説明です。