「萌え絵」はこの時代のアイコンになれるのか?



地元なんで目にする機会も多いのですが、なんかもはや違和感を感じなくなっている。
もしかしたら自治体とかのポスターはこういう絵柄が普通になるんじゃないかとすら思えてくる。


バブルが弾けた後の閉塞感の中で、多くの人が豊かになったことによってかえって表面化した様々な問題を抱えるなか襲った大災害、もしかすると、こういう絵柄はそんな時代を代表するアイコンになるのかも知れません。


しかし、そのためにはどうしても越えなければならない壁があります。越えようとしても越えられない、そして、越えたくなくても越えてしまう壁です。




それは、時代遅れ、という要素です。




ある時代の象徴的な事象になるためにはどうしても時代遅れにならなければならないんですよね。そうでないと、ある時代を思い起こすことができない。思い起こす時代が人それぞれ異なってしまう事もあるだろうし、そもそも思い起こすまでもなく今そこに有るしか過ぎない物になってしまいます。


こういういわゆる萌え絵が一種の時代のあだ花になるのかどうか、未来人ではない私には言い当てることができるわけもありませんが、現代を生きる自分の感想では五分五分かなぁと思っています。
漫画とかを読んでも、絵って古くさく感じるまでの時間が短いように思えるんですよね。色々な人がそれぞれ独特のかわいらしい絵を描く時代ではありますが、つい最近まで門外漢、まぁ今もそうなんですけどね、な私には、区別が付いたりつかなかったり……。なんらかの共通点があるから、そういう絵だなぁと思えているんでしょうけれど、その共通点自体を近い将来「古くさい物」と感じることがあるのかもしれません。
いやそうではない。こういう絵柄はむしろ今後スタンダードになるのだ、という見方ももちろん捨てる事はできません。冒頭紹介した松戸市のポスターを見た時の感想はむしろ後者でした。


誰もが認める時代のアイコンとなるには時代遅れにならなければならない。しかし、それ以前にその時代を代表する何ものかにはならなければなりません。
そしてさらには、その時代を代表する何ものかにはなれなくても、極めて自然に、空気のように人々に受け入れられ認識され続けるものもあります。
今自分が夢中になっているなにかがどういう道をたどるのか、それを想像してみるとまた違った見方ができるのでしょう。