コミュニケーションツールとしてのブログは終わったのか?

おれは終わって無いと思うけれど別の意味付けで終わっているとも思っています。


どういう意味づけで終わっていると思ったのか?
それは、上記記事でこれから先ブログが果たすのではないかと書かれているアーカイブとしての機能に限界が見えた、という意味で終わっていると思ったのです。




いずれ他の人が書いた文章の引用とかリンクが内情隊で書こうと思っていますが、というか既に2ヶ月前に書こうと思っていてすっかり忘れている話なのですがね。
今年の夏、この日記は一つの壁をようやく越えたなと思ったんですよ。ところがその壁を越える囲えないかという時に思いもしなかった壁にぶち当たった。これはだめだと。ブログというか日記というかとにかくこういう追記形式のコンテンツはいかんと。そりゃまぁ個人が自分のためだけに使う備忘録としては優秀なんですがそれだけのこと。他者への情報発信ツールとしては限界があるなぁと。その限界をうちやぶるには発信者側でそれなりのコスト*1をかける必要があるなぁと。
おれはたまたまそのコストをかけていたけれど多くの人はそこまでやらないだろうなぁと。ってことはせっかくたまった膨大なコンテンツはいずれ朽ち果ててしまうのかなぁと。


何でそう思ったかは別のネタにしたいので書きませんが、毎月わりと詳細にアクセス履歴のデータを書いているのでそのデータだけでも何でそう思ったのかわかる人もいるかも知れません。





自分でやってみてブログとかWeb日記のいいところって書くのが簡単な事に尽きるんですよ。ところが今ではTwitterとかもっと簡単に書ける仕組みがある。
まさに今書いているこの記事なんか典型なんですが、あまり考えないで脊椎反射っぽく書けるのがブログ形式の強みです。しかし、Twitterなんかだと脊椎まで行かずに手が勝手に文章を紡ぎ出している感じ??


もう一つは精神的な障壁でしょうかね?


SNSはある一定の人しか読みに来ないみたいな意識があるから書きやすいのかも知れないし、Twitterも実際にはそうではないにもかかわらず、自分がフォローしていてタイムラインに表示される人たちだけに読まれているみたいな感覚がある。
公開日記にはちょっとそれとは違う緊張感があるのは事実ですね。


ブログってのはコミュニケーションツールとしても使えるし情報発信ツールとしても使えるけれど、情報受信ツールとしてはそれ単体では使えないってのが大きいのかなぁ。毎週たくさんトラックバックを送っていた時期はそれに伴って他のサイトさんからもたくさんのトラックバックが来てました。擬似受信ツールとしても使えてたんですよね。今はもう自分から積極的にトラックバックをする事をしなくなったのでそう言う事もなくなりました。もともと自己完結で満足するたちなので別に不便は感じてないのですが考えてみるとさびしい話ですね。


コミュニケーションツールとしての気軽さは今のブログというシステムにはもう求められないのでしょう。アーカイブツールとしての限界もある。しかし、そこそこ気軽に書けて、そこそこ長期間コンテンツを保存する事が出来るというそこそこのメリットってのはなかなか他には無いのかなぁと。
決して突出した魅力はないけれど汎用的な情報発信ツールとして生き残るんじゃないですかね?




ところで、冒頭のはてなブログですが、おれの興味はただ1点、1日64KBという記事サイズの制約は無くなったのか?というところです(笑)。ブログと言うからにはせめて1記事64KBにはなってるんだろうなぁ。
まぁ、はてなダイアリーを使っている人でその制約にぶち当たって悶絶した人は数えるほどしかいなんでしょうけれどね。プロの地雷踏み士なのでしょうがない。

*1:毎度の注釈ですが、コストには金銭的なコストだけではなく時間的なコストも含まれます