シリーズ 地図と電車とときどき道路 1 21世紀の東京を作った日比谷線

シリーズものの記事です。1回目なので趣旨を語ってから本編を書きます。




この日記の過去記事を振り返ると、案外と趣味性の高い記事が少ないなぁと思うんですよね。ここでいう趣味性ってのは私の本来の趣味である地図とか鉄道とかのことです。漫画やアニメにはそんなに興味があるわけではないので……。いや、まじで。
趣味性の高い記事を書くのって案外と難しくて、そもそも何をネタにしたら良いかわからないんですよね。なんかネタを見つけたとしても、マニアにとっては自明のことなので書く必要もないなぁ、っていうかみりゃわかるじゃんと思ったり、逆に趣味性が高すぎて他の誰も興味を示さないよなぁと思ったり……。
それでもときどき書いていますが、まとまった感じにはなっていないなぁと思ってシリーズを立ち上げた次第です。過去に書いたことの焼き直しやら繰り返しやらが多くなるとは思いますがなんとなくまとめたいんですよねぇ。


それともう一つ、このシリーズでやりたいことは、「嘘を書く事を恐れない」ということ。常々、このサイトでは嘘を書くと公言しているし、このサイトに限らず「信頼性が高い(笑)」とか「公正中立www」とか中の人が言っちゃうような媒体だって頭っから信用しちゃいけないと書いていますが、自分の趣味の事になるとやっぱ心構えが違ってきて、最低限調べて裏付けを取ってから書こうとか余計な事を考えてしまいます。そしてその過程に満足して書く必要が無くなったり書く気が無くなったりするんですよね。
このシリーズでは妄想やら、思い違いやら、偽記憶やらを検証しないで書く事によって、結果的に嘘が混じる可能性が高くなることを狙っています。狙うな!とは思うけど(笑)


月1本、都合12本くらいはストックがたまってから始めようかなぁとも思ったのですが、それをやっているとそれこそその過程で満足して何も始まらないと思うので、脳内ネタが2本か3本しかない状態ですが書き始めてみます。
なので、1回目と銘打っておきながら1回で終わる可能性も十分にあります。それはそれでまた嘘という事でテーマには合っていますね<むちゃだ……




では、ここから本編です。








東京メトロ日比谷線
北千住から中目黒まで、東武伊勢崎線東急東横線を結び、それらの路線と相互直通運転を行っている路線です。
北千住から秋葉原まではJR常磐線と山手線のショートカット路線としても機能しており、秋葉原から霞ヶ関までは都心を若干迂回し、既存の路線、日比谷線の場合は都営浅草線と銀座線、そして丸の内線です、と接続を取りながら走り、南部では六本木という繁華街への鉄道輸送を長期に渡り単独で担いつつ、東京南部から都心へ向かうルートとしても機能しています。
初期に作られただけあって、1本の路線にいろいろな機能を持たされているんですねぇ。


車庫があるのは南千住と東武伊勢崎線の竹ノ塚、それと霞ヶ関には北からの折り返しがスムーズに出来る留置線があり、ラッシュ時には折り返し列車が走っています。また広尾にも留置線が数本あります。あと、八丁堀にも南方向から入れる留置線があるのかな?この辺りの作りは後から出来た千代田線に似ていますね。
北からも南からも、主要な目的地を過ぎた駅で折り返しが可能にしておき、主要な車庫は北のはじ、南にはそれを保管する留置線があるという形です。
参考資料:おきらく娯楽工房 日比谷線配線図


現状でもっとも特徴的な駅はやはり北千住です。コンコースを間に挟んだ3階建ての駅になっています。

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この構造になったのはわりと最近の話です。それまでは、旧墨堤通りと東武伊勢崎線下り線をオーバークロスして北千住では2面4線、実際には東武の待避線があったので、2面6線でした。駅中心は今以上に北に寄っていたので、千代田線との乗換通路は北側にしかありませんでした。
現在は2面4線、特急ホームを加えると2面5線、が下層部で、2面3線が上層部。ずいぶん大きな駅になった物です。日比谷線東武伊勢崎線の緩行と一体化しているので、乗換の利便性は落ちた物の、安全性と定時運行性は格段に上がったでしょうね。それでも遅れてはいるんでしょうけれど。それはそうと、乗り入れ先の緩行線と一体化しているという意味でも千代田線とはよく似ていますね。


さて、その日比谷線ですが、過度的な規格で路線が造られました。車輌長18メートルで8両編成です。その後の地下鉄の多くが、20メートル車輌の10両編成を前提に作られた事を考えると、若干スペックが悪くなっています。
編成あたりの定員を計算してビックリしました。

およそ1.5倍違います。
参考資料:Wikipedia 営団03系電車 営団05系電車
ちょっとの違いのように見えてこんなに違うんですねぇ。


そう、もし、もしもですよ、日比谷線がその後作られる東西線、千代田線、有楽町線半蔵門線副都心線と同じ規格で同じ編成両数の車輌を走らせることができたのならば、もっと多くの人を運ぶ事ができたんですよね。


そして、その後作られた路線を見てみると……。


有楽町線までは直接の関係はないですが、半蔵門線東武伊勢崎線と直通運転をしています。上述した20メートル10両編成という規格の急行(開通当時は準急)が直通しています。東武線に半蔵門線インターセプトされた松戸市民としては複雑な気持ちではありますが(笑)。
南北線目黒線(目蒲線)を介して東急東横線と直通運転を行い、都営三田線も同様です。そして、副都心線は近い将来渋谷を介して東急東横線との直通運転を行い、それに合わせて東急東横線の一部の駅では20メートル車輌10両編成の電車が止まれるように改良工事を行っています。


これをどう見る?


もし、もしも仮に、日比谷線がその後作られる地下鉄と同じ規格で作られて、1.5倍の輸送力を持っていたら、これら新路線の工事の一部は不要だったのではないかと思えるんですよ。
つまり、日比谷線が、18メートル車輌8両編成という規格で作られたから、21世紀東京の地下鉄路線網は現在の形になったとも言えると思うんですよね。
もちろん、日比谷線の輸送力が大きかったら、東武伊勢崎線沿線にはもっと多くの通勤住民が住む事になって結局輸送力不足に悩まされていた可能性もありますし、今になってようやく20メートル車輌10両編成対応工事をしている東横線が当時(昭和30年 1960年代)それに対応する工事を行っていたかというと疑問ではあります。
鉄道路線への過大な設備投資というのは作る前に問題になりますが、結果的に過小だった設備投資は作った後に問題になり、後に尾を引きます。日比谷線の規格選定はまさに後者の例になっています。


もしも日比谷線がもっと高規格で作られたのなら、東京の鉄道路線網は今とは違う形になっていたでしょう。南北線都営三田線は延伸、新規開通がなかったかもしれないし、あるいは別の目的地を目指していたかも知れない。半蔵門線は亀有あたりまで伸びていたかも知れない。副都心線は渋谷からさらに南を目指して、新木場で有楽町線と再度邂逅を果たしていたかも知れない。そうなると現在の湘南新宿ラインを走る列車は埼京線(赤羽線)をメインルートとしていたかも知れないし、上野〜秋葉原の輸送力が増える事によって東北縦貫線の去就にも影響が出ていたかも知れない。
そして、もしかすると、東武は北千住より都心側の輸送には興味を失って、業平橋、押上をもっと軽視していたかも知れません。とっくの昔に広大な社有地は売却されて住宅街になっていたかも知れません。




そう。もし日比谷線に20メートル10両編成の電車が走っていたら、東京スカイツリーがこの場所に立つ事もなかったかもしれないのです。



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交通インフラはもちろんのこと、21世紀東京という世界に冠たる巨大都市の風景までをも変えたかもしれない日比谷線の規格。現実には時間を巻き戻す事はできませんが、頭の中で時計の針を戻す事は誰にでもできます。
そんな事を考えながらいつもの電車の乗ってみると、退屈な移動が刺激的な時間になることだってあるのですよ。