ステマとSOPA、言論の自由と発言の自由





この2つのネタ、本質的には同じ話だと思うんですよね。
つまりかみ砕いて言うと

おれ(ら)が作ったコンテンツ使って勝手に金儲けするんじゃねぇぞこのガキ、っざけんな!

ってことになるんだろうなと俺は思いますね。
って話はこないだも書いたばかりです。





なのになぜかこの2つの記事を見比べると全く違う立場にシンパシーを抱いてしまう。ダブルスタンダードと言われてもしょうがないなぁと思えてしまいます。
その裏にはなにがあるのかなぁといろいろ考えてみたのですよね。
最初に思い付いたのは対価を得てコンテンツを産み出しているか、対価を得ていないかの違いかなぁと。
いや、それは事実としてあるんですがね、どうにもしっくりこない。


んで、至った考えがこれ。


コンテンツを産み出しているの、言論の自由を昔から享受していた人たちか、まだ言論の自由を得たとまでは言えないけれどそこに向けてようやく踏み出した人たちなのか、という違いかなぁと。


ネットでいろいろ書いてみて思ったんですがね、いや、最初は誤解していたのですよ。自分の書いた文章が世界中に広まるなんてね。ホントに(笑)。実際やってみたらそんなことはないんですよ。誰も読みに来ない。読みに来ない以上、自分の考えが広まるはずもないのですよ。
発言の自由はあるけれど言論の自由は無い、なんていうバズワードっぽいことを感じています。


今だってそう。ここにこうやって書いたとしても読みに来る人はどんなに多くても数千人。いや、数千人来る記事なんて年に1本書けるかどうかですからね。


自分自身の立場と判官贔屓的なマインドが、ダブルスタンダードではあるのだけれど自分では一貫しているように錯覚する感情を抱かせているのかなと思いました。




そうそう。どうでもいいけど、「ステマ」ってのはほんとどうでもいい。そんなもんでどうにかなるような甘い世界じゃないと俺は思うから。