3.11 東北地方太平洋沖地震に立ち会えた幸運を改めて噛み締める

1年経ちました。
長かったような短かったような……。いずれにしろ今まで過ごした1年とは違う意味を持つ1年でした。




日付・時刻って言うのは地球の自転公転を元にして人間が時間を認識しやすくしただけの記号ではあるけれど、ある日付に特別な意味を感じてしまう事はやはりあるのですね。
去年の今頃、おれは蒲田にいました。その後南武線で府中に移動し、その後この地震に遭遇しました。


来るべき物が来た。それが最初の感想でした。




しかし、現実は違っていた。来るべき物ではなかった。来ると思っていた地震よりもやばいものが来ていた。




生きている間にマグニチュード9クラスの地震を、その揺れが体感できる場所で体験できるとは思っていませんでした。可能性はあるけれど、地球上でその可能性が比較的高い所で生活しているとは思っていたも、まさか短い一生の間にそれを経験する事ができるとは……。
しかも、その揺れを経験した1年後、俺はまだ生きている。
これを幸運と言わずしてなんと言えばいいのか言葉が見つかりません。


地殻変動や地形に興味がある以上、自分の命が危険にさらされる可能性があるとしても地震や火山の噴火などに立ち会ってみたいという欲望はありましたし、あの地震を経験してもそれが消えることはありません。そして、あの日それを実際に経験できたという幸運、その上自分が生き残っているという幸運、そう言う意味でもたぶん一生あの日の事を忘れる事は出来ないでしょう。




この地震に伴って発生した人間社会に影響を与える災害はまだ決着していません。津波原発事故で被害を受けたところは言うに及ばず、軽微な被害で住んだおれの住んでいる地域ですら、未だ修復されていない傷跡は残っています。その傷跡は少なくとも数十年の間残る事が確実視されています。
そう遠くない将来、もしかしたらおれがまだ生きている間に、また違うタイプの地震が発生し、違うタイプの災害が、違う地域で起こるはずです。何月何日に起こるとかいつまでに何パーセントの確率で起きるとかいう情報に一喜一憂するのはナンセンスですが、起こる事に間違いはありません。




あの日、おれは、「日本は終わる」と思いました。ところが実際には1年後のおれは普通に生活している。強烈な違和感を覚えます。
通常時にはオーバースペックの無駄としか思えないインフラ、極端に安全サイドに振ってもまだ足りないというそしりを受ける社会システム、数々の自然災害にさらされてもそれを受け入れるマインド、そして、幸運。
1年後はまだまだ通過点。そしてたぶん終わる事はない。たとえ終わったと思っても確実に次はやってきます。