読書感想文 川原 礫著『ソードアート・オンライン』2巻〜11巻





読んだ本の感想を書くにあたって、主眼に置いて書く切り口はいろいろあります。私が一番よく使うのは自分の感想を書くと言うこと。読書感想文なんだから当たり前ですね。しかし、その切り口で読書感想文を書くのは自分が思っていた以上にはるかに難しかった、というのは何本も書いてから気づいたことです。「面白かった」あるいは「つまらなかった」以上の感想を文章に起こすって言うのは非常に骨が折れる作業です。
次に思い付くのは、登場人物の誰かに感情移入し、そのキャラクターの心情を言葉にすることです。なにぶん昔の話しなので偽記憶かも知れないんだけれど、子供の頃、先生とかの評価がよろしかったのはそう言うタイプの感想文だったように思えます。たぶん比較的書くのが簡単だし、評価するのも簡単なんでしょう。私はそういう感想文を書くのが苦手なのでよくわかりませんが。
続いて、往々にして揶揄されるあらすじ感想文。しかしこれもまた私にとっては非常に苦手なタイプなので、要領よくあらすじをまとめられる人を見るとすげーなぁと思います。
もう一つ、めちゃくちゃな方法として、言葉尻をとらえて好き勝手に作文をするという方法です。私の場合、たぶんこれが一番多いし楽でしたねぇ。評価はされないけど原稿用紙は埋まる。
そして最後に、おそらくは少数派と思われるのが、作者、著者の心情を想像して書いた感想文です。「この作品あるいは文章で作者筆者が読者に伝えたかったことは何か?」ってやつが代表的ですね。それはそれで難しい作業なんですが、私にはわりと書きやすい切り口です。なぜかというと、作者著者とは面識が有るわけでもなく、作者著者本人からツッコミが来る可能性はほとんど0なので自由に想像できるからです。あさっての方向なことを書いても原稿用紙が埋まる可能性は高いです。


と、思ったよりも遙かに長い前置きになってしまいました。
今日の感想文は上のどれでもありません。


作者は絶対こんな事は考えていない、という話しを結論に持ってくることになるはずです。




先日、1巻読んで面白かったんですよ。だから続きも買った。11巻まで出ている分全部読みました。全部読んでも面白かった。だからまた感想文を書くわけですけれどね。当たり前です。面白くない本の感想なんて1文字たりとも書きたくないですから。
ソードアート・オンライン』は全体としても一つの物語になっていて、それの全てを読むことはできないです。今の感想は、この小説を構成する個々のストーリーに対する感想にならざるを得ません。
1巻は主人公とお姫様を中心とした登場人物たちが、困難を乗り越えつつも目的を達成するまでの物語です。2巻は1巻のサイドストーリー、3巻と4巻は囚われのお姫様を救出する話しが縦軸で家族愛と恋愛感情のせめぎ合いが横軸と言ったところでしょうか。5巻6巻はヒロインをエスコートして無事に届けるお話。7巻は活発なお姫様と愉快な仲間たちによる冒険活劇が軸で、それに叙情的な死と家族の再生が絡んでくる話し、8巻は1巻2巻のサイドストーリー、9巻以降はまだどうなるかわからないけれど、主人公をお姫様が助ける話しと、主人公がむしろサポート役にまわる話しが同時進行で進んでいる状況です。
と、書き出してみると……。
俺の言う「王道」ストーリーなんですよね。よくある話だけれど、才能有る人が書けば鉄板で面白いっていうストーリーです。奇をてらっていない。安定している。
なによりも主人公とお姫様が安定している。かわいい女の子をたくさんだしてもお姫様の地位が揺らぐようには見えない不思議。読者みんながそうなのかどうかはわからないけど。どうなんでしょ?
お姫様であるアスナが安定している理由は、1巻で「新婚生活」をさせたからなのかなぁと感じています。もしあれがなければメインヒロインサブヒロイン入り乱れていたように思えてなりません。
メインのサブヒロインは妹なのかなぁと思っています。もしも新婚生活がなければ、直葉はメインヒロイン食ってた可能性もあるのかなぁと。なんせ主人公と一番早く出会っていて一番一緒にいる時間が長いわけですからね。


この話し、この後どのくらい続くのかわかりませんが、一つだけ予想できることがあります。それは、冒険活劇にありがちな終わり方はきっとしないであろうということ。
「王子さまとお姫様はずっと幸せに暮らしましたとさ」
という終わり方はしないであろうということ。
この小説の場合、
「王子さまとお姫様はずっと仮想空間で冒険を続けましたとさ」
になるんだろうなぁと想像しています。
冒険の終わりは寂しいんですよね。その冒険が波瀾万丈であればあるほど、終わった後はむなしい。今は冒険者の片鱗も見せないような主人公、あるいはメインヒロインが、自分の若かりし日の冒険を語るというテンプレートであっても寂しさを感じます。
しかし、たぶんこの小説ではそうはならないのでしょう。作中に定義されたVRMMOというゲームの中で、登場人物たちはずっと冒険を続けるのでしょう。






と、ここまででやめておけば普通の感想文なんですが、よけいなことを書きます。






ふと思ったんですよ。
いえね、絶対実現しないと思うし、むしろ、仮にできるとしても、やりたくないと思うんです。やる方のメリットも思い付かないし。
俺だったらやりたくないね。うん。絶対。だけど思い付いちゃったんだからしょうがない。


このVRMMOっていう仕組みを物語の共通プラットフォームにできないかなぁ、ってね。
ほら、これって、管理者が作る世界じゃないですか。たぶん現実世界とは違う物理法則とか適用できますよね。フェアリーダンスでは飛んでるし。
そういう共通プラットフォームを用意して、創作者はその上に自分が考えた仮想空間を作り、そこで物語を紡ぎ出すっていうことはできないのかなぁ、って思ったんです。
なぜそんなことを思ったのかというと、いくつかあって、一つは現代社会って複雑になりすぎていると思うんですよ。なにをどう書いてもリアリティが無い、というかある人にとってはリアリティのある設定が、別のある人にとっては全くリアリティが無い設定になります。そして、面白いのは、リアリティが無い方がむしろ架空の世界としてのリアリティがあるってこともまま起こりうるってことなんですよね。
えっと、話が逸れた。なにが言いたいかというと、創作者それぞれが、現実をベースとした架空の世界を構築すると、それぞれの世界がそれぞれ別のリアリティを備えることになってしまい、それらの相互乗り入れが難しくなってしまうということを言いたかった。そして、現実世界よりもっと簡略化されたベースとなる世界があって、そのプラットフォーム上で架空の世界を構築すると、物語の相互乗り入れが比較的やりやすくなるのかなぁと想像したんですよ。
その想像のベースにはとても簡単で子供っぽい発想があります。
内容は覚えていませんが、ルパン対ホームズ。
そう、子供の頃、ルパン対ホームズっていうフレーズを聞くだけでわくわくしたもんでした。そういう、作者を越えたコラボってのがやりずらい世の中なのかなぁと思ったんですよね。パロディでは可能だと思うけれど、たとえば同じ事件を複数の作者がそれぞれが持つキャラクターの切り口で描くみたいなのをやる場合には、共通のプラットフォームがあったほうがいいんじゃないかなぁと思ったんです。
そして、もう一つ、これはまぁアレな感じなんですが……。物理法則も管理者が設定でき、かつ、複数の仮想空間に相互乗り入れ可能ということだと、それを前提としたトリックも作れそうだなぁと、ね(笑)。実は、細部はともかく、大枠を一つ思い付いたんですよ。まぁ、もし仮に俺が読者でうっかり読んじゃったら「どうしてこんなくだらない本を買ってしまったんだろう」という自責の念で1ヶ月くらいへこむレベルのくだらないやつですが。もし、才能ある人がそういうプラットフォームで自由に創造の翼を羽ばたかせて、そしてさらにそれが相互乗り入れしている状況を夢想するとわくわくするじゃないですか!えっ、しない?俺はするんですよ!


ただ、これってたぶん創作者としてはメリットを感じないんじゃないかなぁと思うんですよね。自分で世界を作って、その中でキャラを動かすのってほんと、楽しいもん。
だからね、最初に書いたように、作者が絶対考えていないことなんですよ。