読書感想文 三島由紀夫著「潮騒」
昨年大ヒットしたドラマに出てきた歌を聴いて、「これって三島由紀夫の『潮騒』がモチーフなんだろうな」と思ったのですが、なんでそう思ったのかが謎でした。この小説は、おそらく子供の頃に読んだ、あるいは読まされていて、あらすじはなんとなく知っているのですが読んだ記憶がまったくありませんでした。
三島由紀夫作品はまったく読んだ記憶が無くて、読んだはずなんですが記憶がまったく無くて、なのになぜか国語の教師が「口の悪い人は三島由紀夫の小説を『レトリックだけ』と評する」みたいな話をしていたのが印象に残っていました。それがその先生の感想なのか多くの人がそう言っているのかなんてことは当時疑問にも思わず、そういう先入観だけがある状態でおそらくたぶんの再読を果たしました。
読み進めるうちに「なるほどなぁ」と思いました。確かにこの作品はレトリックばっかりだわと。もちろんそういう先入観を持って読んだからそう思っただけだと思うのですが、そういう感想を持ちました。そしてあらすじだけ知っている物語は非常にオーソドックスで、偶然出会った若い二人が恋に落ち立ちはだかる障害を乗り越えて結ばれるという、正直言って退屈でした。他の作品を読んでいないからわからないけれど三島由紀夫は合わないのかもしれない、そうでなくてもこの『潮騒』という作品は合わないな、需要がありそうだから読書感想文をネットにアップしようと思っていたけれどさてどうしたものやら……。そう思って読み進めました。
合わないと思った作品の感想を書くという作業は楽しみではなく、苦行以外のなにものでもありません。どこかに提出する義務があるものならしかたなく書きますがここにアップロードする感想文は義務ではなく趣味、娯楽であるべきなのでこの小説の感想は書くのをやめようと思いました。
最後の一文を読むまではね。
物語の結末には個人的に強い思い入れがあります。
それは推理小説が好きでたくさん読んでいるからだろうなと思っています。驚愕の結末、極端に言うとある作品のコピーになっていた「一行で世界が変わる」という作品に憧れ、そういう小説を自分でも書いてみたいと思っていたけれど残念なことに物語を生み出す才能が無く、それでもあきらめきれずに今のところ一度だけしか訪れていないチャンスに食いついて、勢いでそういう小説を書いてしまいました。
物語がどうとか文学的な表現がどうとかそんなことはどうでもよくてというかそこまでは気が回らず回せずに、どうせやるなら徹底的にと改行改ページにまでこだわって、「最後のページをめくった瞬間に世界が変わる」という試みをしてみました。それを実現するためだけにフォーマットに制約をつけたり文字数から形容詞を選んだり無駄な改行を入れたりして書いてみました。
商業ベースに乗せるつもりは無いので自己満足の世界です。自分ではなんとかやりきった感はあるのですが、もっとすごいものをいつかは書いてみたいし、もしかするとそういうチャンスがこの先またあるかもしれないという淡い期待も抱いています。
そういう欲求が強い人間が読むとこの小説は多くの人とはまったく違う顔を見せてくれました。
前にも書きましたが、『潮騒』の筋立ては「偶然出会った若い二人が恋に落ち立ちはだかる障害を乗り越えて結ばれる」という、もしかすると神話の時代から連綿と続くなんのひねりも無いものです。ところが、最後の一文でその世界が壊れるのを感じたのです。三島由紀夫ってただものではないななどという文豪に対する失礼な感想を持ちました。
理解ある周囲の人々に恵まれて古い因習のしがらみから逃れ結ばれる二人。最後の一文が無ければただ単にめでたしめでたしで終わる小説です。それが、あの一文で壊れます。しがらみにからめとられずに恋を成就させた二人は、自分たちの未来への障害となっていた古い因習の世界に取り込まれることを予感させるのです。地域の「進歩的」な考え方をもつ人たちに支えられて、その地域のコミュニティに二人そろって属することができるけれど、その代償として、自分たちの前に立ちはだかっていた壁に取り込まれる、そういう一種の悲劇的な結末であると感じました。だから逆に、オーソドックスな物語を好む人にとっては、最後の一文は邪魔であり評価を落とす材料にしかならないのではなかろうかとも思います。最後の一文さえ無ければ……、と思う読者がいることは驚くに値しません。だからこそ逆にその最後の一文は心に刺さったのです。
解説を読むと、三島由紀夫という文豪の背景からこの作品の存在意義、さらには元ネタ的なものまで言及されていますが、そこには「最後の一文」についての説明はありません。そしてこの感想文でも説明はしません。しかし、この「最後の一文」に衝撃を受けた人がいるということはどうしても伝えたくて、書くのをあきらめようかと思った『潮騒』の読書感想文をここにアップロードしました。
念のため当たり前のことを書きますが、この感想は個人的なものです。そして、昭和の終わりから二十一世紀にかけて東京とその周辺でほとんどの生活を送っている人間の持った感想です。だから的外れである可能性はある、むしろその可能性の方が高いと思っています。真に受けないでください。そう思っただけ、そういう感想を持っただけです。他の人とは違っていて当たり前です。